中野一族/茜堂 もう一つの中野駅関係の切符類=茜堂 |
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もう一つの中野駅の顔、中野駅はJR東日本の管轄駅で有って、東京地下鉄(東京メトロ)東西線の、共同使用駅でも有り、 更に、補足すれば、JR貨物の駅ともなっていますが、こちらは勿論、駅に停車する事は有りません。 ● 東京地下鉄(東京メトロ)は、1番から8番迄有るプラットホームの内、3、4、5番ホームを使用しています。 その内訳は、3番ホームは、東西線の始発着として使用され、また、東西線からの直通や、中央線(各駅停車)等が、使用しています。 4番ホームは、東西線専用の始発着に使われ、5番ホームは、三鷹方面からの直通や、中央線、総武線での各駅停車で、使用されています。 ● 以下、他社鉄道線への乗入れ切符類を始め、地方に散開する中野駅の切符類も、紹介しています。 |
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昭和26年5月11日、矢印式連絡片道乗車券、中野駅〜地下鐵線各驛、3等、20円、国鉄中野驛発行、国鉄、JNR赤地紋。 昭和29年6月13日、矢印式片道乗車券、三越前駅-銀座線〜中野駅-国鉄、帝都高速度交通営団三越前駅発行、営団、社地紋。 昭和33年4月8日、矢印式連絡片道乗車券、中野駅〜地下鉄銀座線各駅、3等、40円、国鉄中野駅発行、国鉄、地紋確認出来ず。 左の券のダブルパンチの右側が、国鉄中野駅の入鋏で、左側が、帝都高速度交通営団の入鋏です。右の券ではその逆となります。 右側の券の地紋は、国鉄地紋風(動輪が車輪に、JNRがJPRに、てつどう文字は、こくてつ文字に夫々良く似ています)に、なっています。 ● この国鉄に良く似た地紋は、山口証券印刷株式会社が、昭和26年頃に私鉄用として、当時の国鉄了承の基に、作成されたもので、 国鉄地紋の基本パターンを残し「こくてつ」を「てつどう」に、「JNR」を「PJR=Private Japan Railwayの略」に、 それぞれ置換えて、新地紋の名称で、各地の私鉄切符に、幅広く使用されています。 ● 昭和41年3月16日、営団地下鉄東西線が、国鉄中野駅乗り入れを開始します。 帝都高速度交通営団(略称=営団地下鉄)は、平成16年4月1日に民営化され、東京地下鉄(愛称=東京メトロ)となりました。 |
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昭和42年9月14日、連絡乗車券、地下鉄〜国鉄、中野接続、直通乗入区間、東陽町駅〜中野駅接続〜荻窪駅、営団、社地紋。 昭和44年3月29日、連絡乗車券、地下鉄〜国鉄、中野接続、直通乗入区間、浦安駅〜中野駅接続〜荻窪駅、営団、社地紋。 昭和46年9月11日、連絡乗車券、地下鉄〜国鉄、中野接続、直通乗入区間、三越前駅〜中野駅接続〜荻窪駅、営団、社地紋。 昭和46年9月11日、連絡乗車券、地下鉄〜国鉄、中野接続、直通乗入区間、九段下駅〜中野駅接続〜荻窪駅、営団、社地紋。 昭和48年12月4日、連絡乗車券、地下鉄〜国鉄、中野接続、直通乗入区間、西船橋駅〜中野駅接続〜三鷹駅、営団、社地紋。 地下鉄東西線側から、中野駅経由で国鉄駅への直通による、地下鉄発行の連絡乗車券です。 ● |
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昭和55年12月17日、金額式連絡乗車券、地下鉄〜国鉄、中野接続、国鉄線430円区間、西船橋駅〜中野駅接続210円、営団、社地紋。 昭和56年8月20日、金額式連絡乗車券、地下鉄〜国鉄、中野接続、国鉄線290円区間、西船橋駅〜中野駅接続290円、小児、営団、社地紋。 東京メトロの中野駅(JR)には、駅番号T01が付けられ、東西線の起点駅となります。 地下鉄の駅番号は、平成16年4月1日、駅位置関係を誰にでも分り易くすると言う、目的で設けられました。 東西線中野駅(起点)の場合、東西線=T、西側=01で、T01になります。 ● 因に当券の発駅である、東西線西船橋駅の場合では、中野駅より23番目の駅となりますので、駅番号はT23となります。 駅番号(駅ナンバリング)の規則性は、各鉄道会社によって異なり、東京メトロでは起点に関係なく、概ね西と南から01で始まっています。 ● |
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昭和48年9月8日、矢印式連絡乗車券、国鉄〜地下鉄、中野接続、武蔵小金井駅〜中野駅経由〜神楽坂駅、110円、国鉄、JNR赤地紋。 昭和49年2月20日、地図式連絡乗車券、国鉄〜地下鉄、中野接続、荻窪駅〜中野駅経由〜100円区間、国鉄、JNR赤地紋。 昭和47年8月1日、地図式連絡乗車券、国鉄〜地下鉄、中野接続、吉祥寺駅〜中野駅経由〜100円区間、小児50円表示、国鉄、JNR赤地紋。 国鉄から、営団地下鉄への連絡券は、通常では矢印式ですが、昭和45年12月15日から、中野経由東西線の50円区間のみが、 地図式になり、昭和47年8月1日の、営団地下鉄の運賃改定(最低区間30円から40円に値上げ)時迄、続きました。 ● |
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昭和55年9月22日、三社連絡乗車券、国鉄〜地下鉄〜国鉄、中野接続、吉祥寺駅〜中野駅経由〜幕張駅、220円、国鉄、JNR赤地紋。 ● |
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昭和58年3月29日、割引連絡乗車券、国鉄〜地下鉄、中野接続、吉祥寺駅〜中野駅経由〜地下鉄高田馬場駅、220円、国鉄、JNR赤地紋。 昭和58年9月7日、割引連絡乗車券、国鉄〜地下鉄、中野接続、荻窪駅〜中野駅経由〜地下鉄高田馬場駅、110円、小児、国鉄、JNR赤地紋。 平成2年2月11日、割引連絡乗車券、国鉄〜地下鉄、中野接続、荻窪駅〜中野駅経由〜地下鉄高田馬場駅、120円、小児、JR東、JR東赤地紋。 ● |
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昭和51年9月3日、金額式連絡乗車券、国鉄〜営団、中野接続、吉祥寺駅-130円〜営団線-80円区間、国鉄、JNR赤地紋。 昭和52年1月17日、金額式連絡乗車券、国鉄〜営団、中野接続、吉祥寺駅-80円〜営団線-70円区間、小児、国鉄、JNR赤地紋。 平成2年2月22日、金額式連絡乗車券、国鉄〜営団、中野接続、荻窪駅-30円〜営団線-120円区間、小児、JR東、JR東赤地紋。 金額式の連絡乗車券、それぞれ吉祥寺駅〜中野駅間は、小児60円と80円、営団線は、中野駅からの大人運賃80円区間と70円区間。 右のJR券は、荻窪駅〜中野駅間は130円、営団線は、中野駅からの大人運賃120円区間。 それぞれ券面裏表には、発行駅名が印刷されていません。 中野駅から地下鉄東西線全通迄の優待往復乗車券=茜堂 |
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東西線は、東京都中野区の中野駅と、千葉県船橋市の西船橋駅を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が、運営する鉄道路線で、 鉄道要覧における名称は、5号線東西線で、 路線名の由来は、東京を東西に横断する意味から、 車体及び路線図や、乗り換え案内で使用される、ラインカラーは「スカイブルー(水色)」で、路線記号はTが、付けれています。 ● 昭和39年10月27日に、5号線を東西線と呼称する事が、決定しました。 東西線が、中野駅に直接繋がったのは、高田馬場駅〜九段下駅間が開通した、二年後の昭和41年3月16日の事となります。 中野駅を起点とする、東西線の全通迄の道程を紹介します。 |
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昭和39年12月23日〜翌年1月1日、開通記念往復優待乗車券-裏面無地、営団地下鉄東西線、高田馬場駅〜九段下駅、営団。 昭和39年12月23日に、高田馬場〜九段下間(4.8km)が開業し、5000系で、営業運転が開始されました。 当初は、中野駅から新宿駅を乗継ぎ、東西線高田馬場駅へと乗継ぎます。 |
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昭和41年3月16日〜3月25日、開通記念往復優待乗車券-裏面無地、営団地下鉄東西線、中野駅〜竹橋駅、営団。 昭和41年3月16日から、中野〜高田馬場間(3.9km)と、九段下〜竹橋間(1.0km)が、同時開業します。 また、昭和41年4月28日から、国鉄中央本線荻窪駅迄の、直通運転(当初は営団からの片乗り入れ)が、始まります。 |
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昭和41年10月1日〜10月10日、開通記念往復優待乗車券-裏面無地、営団地下鉄東西線、竹橋駅〜大手町駅、営団。 昭和41年10月1日には、竹橋〜大手町間(1.0km)が開業し、国鉄301系が、投入された事により、相互直通運転が開始されました。 |
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昭和42年9月14日〜9月23日、開通記念往復優待乗車券-裏面無地、営団地下鉄東西線、大手町駅〜東陽町駅、営団。 昭和42年9月14日には、更に西に延伸し、大手町〜東陽町間(5.1km)が、開業しました。 |
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昭和44年3月29日〜4月7日、全通記念往復優待乗車券-裏面無地、営団地下鉄東西線、中野駅〜西船橋駅、営団。 昭和44年3月29日に、東陽町〜西船橋間(15.0km)の開業で、全線が開通し、営団地下鉄西船橋駅(現、駅番号T23)が、開業します。 全線開業と共に、同日から、快速電車による運転が、開始されました。 昭和44年4月8日、営団側は中央線乗入れを、荻窪駅から三鷹駅まで延長し、総武線津田沼駅間を、直通運転します。 ● 尚、上記の記念乗車券は、往復優待乗車券ですが、これとは別に、同じ図柄の各駅発行の金額式記念乗車券も、発行されています。 一般的に優待乗車券は、主に株主や関係者、或は福祉目的や、沿線任意の住民等に配布される、無料乗車券を指しています。 ● 帝都高速度交通営団が、東京地下鉄株式会社となったのは、平成16年4月1日の事なので、 国鉄と東京都が共同出資していた、特殊法人と言う位置付けで有った事から、当時の営団関係者に、配られた物だと推測されます。 中野駅からの回数乗車券=茜堂 |
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中野駅からの、交通営団の11枚綴り、2箇月間有効の補充回数乗車券です。 ● |
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補充回数乗車券、中野駅〜地下鉄丸ノ内線霞ケ関駅、大手町経由、 ミシン線入り、裏面無地、11枚綴り、700円、軟券、中野駅発行、交通営団、緑地紋。 昭和48年12月5日発行、発行日から2箇月間有効。 券番00196。 相互式となっていますの、左右どちらの駅からでも、乗車可能な券。 現在の、金額式回数乗車券と比べると、 発券時の押印には、かなりの労力を要していた様です。 当回数乗車券が、 中野駅の発行で、繋がっている状況から見て、 同時に11名の乗客に因って、中野駅から霞ケ関駅迄乗車の為に、使用した物と思われます。 少し長い回数乗車券の画像ですが、下迄スクロールしてご覧下さいませ。 券面の表示駅を整理すると、発行駅の中野駅は、東西線の駅で駅番号は、T01。 経由の大手町駅は、丸ノ内線(M18)、東西線(T09)、千代田線(C11)、半蔵門線(Z08)の駅。 霞ケ関駅は、丸ノ内線(M15)、日比谷線(H06)、千代田線(C08)の駅。 途中下車は、前途無効。 霞が関駅は、地下3階からなり、地下1階に千代田線ホームが、 地下2階に丸ノ内線ホームが、地下3階に日比谷線ホームが、設置されています。 駅名表示は「霞ケ関」ですが、正式地名では「霞が関」となってます。 |
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現在の東京メトロの回数券は、自動改札用の切離し1枚切符の、集合体となっています。 回数券の種類は、使い方に応じて、普通回数乗車券、時差回数乗車券、土・休日割引回数乗車券の3タイプが、用意されています。 ● 回数券は、乗車駅自由の金額式で、運賃は普通券の10倍、普通回数券の場合は1枚が別途付帯され、11枚の金額式回数券になります。 普通回数券には、乗車日の制限が有りませんが、時差回数乗車券、土・休日割引回数乗車券には、制限が付いています。 ● 乗車日の制限が付いている回数券には、別途付帯の切符が多く付くサービスが有り、 時差回数乗車券では、都合12枚、土・休日割引回数乗車券では、都合14枚の回数券が、10枚分の料金で販売されています。 小児料金は、普通回数券のみに設定されています。それぞれ有効期間は、発売日から3ヶ月。 中野駅からの地紋断裁ミス印刷券=茜堂 |
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中野駅発行の金額式乗車券、地紋の下側が欠落されている、台紙断裁ミスのエラー切符です。 ● |
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昭和44年3月24日、金額式乗車券(地紋エラー券)、中野駅〜40円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、中野駅発行、社地紋。 乗車券の地紋の下部には、有るべき筈の地紋が欠落し、無地の地肌が出ていますが、特殊地紋券の類いでは有りません。 本来ならば、地紋台紙の化粧断ちの祭に、破棄される部分なのですが、何らかの理由に因り、活版刷りに廻った地紋ミスの券です。 ● 考えられる要因としては、地紋を台紙に印刷する時に、印刷版のズレによりそのまま印刷され、検品をすり抜けて、 そのまま、まとめてB券サイズに断裁され、活版による文字印刷に掛けられた物か、 或は、許容範囲との判断によって、そのまま断裁され、活版印刷に廻った物なのかも知れません。 ● |
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昭和41年3月16日、金額式乗車券、中野駅〜30円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、中野駅発行、社地紋。 昭和44年7月9日、金額式乗車券、中野駅〜40円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、中野駅発行、社地紋。 昭和43年2月3日、金額式乗車券、中野駅〜50円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、中野駅発行、社地紋。 地下鉄線30円区間券は、同日発行券ですが、裏面での券番が、0273と0069と、200番以上の差異が有りますが、 裏面の中野駅発行表示の、前に付けられている、丸Aと無しとの、発行窓口違いの様です。 中野駅からの区間変更券=茜堂 |
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区間変更券とは、乗車券の区間を乗越したり経由を変更したりする時に、場内にて発行される切符です。 ● |
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昭和47年9月2日、区間変更券、中野駅〜70円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、大手町駅発、無地紋。 平成2年4月2日、区間変更券、中野駅〜150円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、九段下駅発行、無地紋。 平成2年11月10日、区間変更券、中野駅〜160円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、九段下駅発行、無地紋。 帝都高速度交通営団大手町駅(現、東京地下鉄大手町駅、丸ノ内線=M-18、東西線=T-09、千代田線=C-11、半蔵門線=Z-08)。 帝都高速度交通営団九段下駅(現、東京地下鉄九段下駅、東西線=T-07、半蔵門線=Z-06)、都営地下鉄(新宿線=S-05)。 ● 当切符では、中野駅より、別途地下鉄線の70円区間駅と、160円区間駅まで、変更されています。 帝都高速度交通営団時代の券ですが、左側の券では、地下鉄線の表示ですが、右側の券では、営団線に表示が変更されています。 ● 尚、上記中野駅の顔には別途、 東京地下鉄発着の、甲種車両輸送列車(列車や車両を貨物として、輸送する事)も使用し、 日本貨物鉄道(JR貨物)の駅でもあります。勿論、該当乗車券は存在しません。 中野駅記載の地下鉄定期券=茜堂 |
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帝都高速度交通営団時代の定期券です。国鉄に良く似た、赤色の社地紋(新地紋)が、良く見て取れます。 該当定期券の場合、通勤と通学定期の差異は、右肩に有る小さな文字のみで、判別性に欠けているのが特徴となっています。 ● 昭和40年代に入った頃からなのか、赤のマークが正面上部に、付けられる様になります。 因に「帝都」は、大日本帝国時代の首都、東京の事で「高速度」は、当時の市内交通の主役、路面電車と比べた速度を表しています。 ● |
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昭和36年5月7日〜8月6日、通勤定期券、地下鉄虎ノ門駅〜中野駅、中野駅発行、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、営団、社地紋。 昭和44年12月2日〜翌3月1日、通学定期券、中野駅〜地下鉄飯田橋駅、中野駅発行、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、営団、社地紋。 左側の通勤定期券は、金額帯の準常備式で、右側の通学定期券は、有効期間帯の準常備式となっています。 また、左側の通勤定期券には、期間前通用の押印が有りますので継続定期券で、前の定期券の有効期間前に更新されています。 それぞれ、使用人名記載部分は、画像処理を行っております。 ● |
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平成10年12月7日〜平成11年1月6日、通勤定期券、営団中野駅〜地下鉄飯田橋駅、中野駅発行、営団、社地紋。 磁気定期券は、裏面に粉末状の磁性体を、バインダー(接着剤)で、塗布及び蒸着をした、記録媒体の一種で、 専用改札機を通過する際に、作用する磁化の変化に因り、情報を記録及び再生をする、磁気記録メディアから成り立っています。 ● 原紙については、従来のドラム型のロール紙タイプでは無く、横85ミリ、縦57ミリにカットされた、樹脂型の用紙を採用しています。 また、乗車券原紙以上に、徹底した偽造防止策が施されています。擦れ等の券面劣化による、券面の印字が不鮮明な場合等は、 有効期限内で有れば、発行駅で無償交換も可能です。 使用人名記載部分は、画像処理を行っております。 中野駅からのバス定期乗車券=茜堂 |
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中野駅からのバス定期乗車券を、紹介致します。 ● |
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昭和52年9月2日〜3ヶ月、通学定期券、中野駅〜富士高校、京王バス、 中野駅前案内所発行、裏面には、8項目の注意書き有り。 使用人名記載部分は、画像処理を行っております。 |
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昭和34年9月分、学生定期乗車券、中野駅〜江古田駅、関東乗合自動車、丸山営業所発行、裏面には4項目の注意書き有り。 関東乗合自動車株式会社は、昭和6年に設立され、昭和20年に中野乗合自動車、進運乗合自動車、昭和自動車商会の3社を吸収合併。 当券の中野駅は、旧中野乗合自動車の路線と成ります。その後、関東乗合自動車は、昭和39年に関東バスに改称されました。 ● 中野乗合自動車は、中野以西の早稲田通り周辺で、運行していた、京王電気軌道系の事業者で、 中野区史によれば、大正14年に開業した、個人経営の乗合自動車が、起源とされています。 昭和4年に、株式会社に改組され、当時の営業路線は中野駅 〜石神井駅、中野駅〜鷺ノ宮駅等となっていました。 日本各地の中野駅関係の切符類=茜堂 |
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各地に存在する、中野駅アラカルト。 今は、既に廃止された中野駅や、現存する中野駅、新設された中野駅等の、切符類を紹介しています。 駅名呼称は、すべて中野(なかの)駅となっていますが、 信州中野駅のみは、中野単体では無いのですが、好みの駅として最下段にて収録しています。 |
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昭和62年1月31日、名古屋鉄道、桜駅〜(新安城経由)蒲郡駅・御嵩駅・中野駅、840円、桜駅発行、社地紋。 昭和62年12月29日、名古屋鉄道、八百津駅〜中野駅、110円、八百津発行、社地紋。 昭和63年2月29日、名古屋鉄道、兼山駅〜兼山口駅・中野駅、110円、兼山駅発行、社地紋。 発駅、桜駅は名古屋本線の駅で、着駅の蒲郡駅は蒲郡線の駅で、御嵩駅は広尾線の駅、その他の駅は、八百津線廃線で全廃されています。 ● |
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平成13年9月30日、名古屋鉄道、中野駅入場券(廃止最終日券)、160円、中野駅発行。 中野駅は昭和5年10月1日、東美鉄道開業時に同時開業し、開業時より無人駅で、廃止時点では駅舎は無く、1面1線の駅でした。 名鉄八百津線(名鉄唯一の非電化区間)、中野駅は平成13年10月1日、八百津線廃線により廃止となりました。 ● |
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平成13年7月1日〜9月30日、名古屋鉄道、八百津線おわかれ記念乗車券、中野駅〜加児川駅、小児券200円、中野駅発行。 八百津線おわかれ記念乗車券の表面の図柄は、五宝滝と蘇水峡が、裏面には、それぞれ図柄の解説が記されています。 |
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昭和52年6月3日発行、継続通勤定期乗車券、南海電気鉄道、天王寺駅前〜(阿倍野経由)中野駅、7130円、天王寺案内所発行、社地紋。 中野駅は、大正3年4月26日、初代の阪堺電気軌道、平野支線(今池〜平野間)開業時に、同時開業しています。 翌年6月21日に合併し、南海電気鉄道平野線の中野駅となります。その後、昭和55年11月28日、平野線の廃線により、廃止となりました。 尚、使用人名記載部分は、画像処理を行っております。 |
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平成3年5月21日、わたらせ渓谷鐵道(旧.足尾線)、相互式乗車券、水沼駅〜中野駅、小人、110円、水沼駅発行、小影、社地紋。 平成21年3月29日、わたらせ渓谷鐵道(旧.足尾線)、入場券、中野駅、180円、中野駅発行。 わたらせ渓谷鐵道は、JR東日本足尾線を、第三セクター化した鉄道で、平成元年3月29日開業、中野駅は同日新設されています。 因に同線には、我が故郷神戸と同名の、神戸駅(JR時代の神土駅)が有りますが、読みは、ごうど駅となります。 |
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昭和33年7月12日、上田丸子電鉄、中野駅〜上田駅、3等、30円、中野駅発行、社地紋。 昭和46年4月2日、上田交通、上田駅〜中野駅、70円、上田駅発行、社地紋。 昭和47年3月26日、上田交通、城下駅〜中野駅、60円、城下駅発行、社地紋。 上田丸子電鉄は、昭和18年10月21日に、上田電鉄と丸子鉄道が、合併して設立されました。(左側の券) その後、昭和44年5月31日に、上田交通に社名変更されました。(中、右側の券) ● |
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発行年月不明7日、上田交通、電車乗車券、中塩田駅〜中野駅、10円、緑地。 中野駅は大正10年6月17日、上田温泉電軌の川西線開業時に、同時開業しました。 平成17年10月3日に分社化された後、上田電鉄(別所線)の駅となり、パークアイランド駐車場設置駅となっています。 ● |
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平成18年4月19日、上田電鉄(上田交通流用券)、下之郷〜中野、170円、下之郷駅発行、社地紋。 平成17年10月3日に、上田交通の子会社として設立された鉄道事業者で、上田交通の鉄道事業を継承して、営業しています。 尚、上田交通の前身企業にも、同名の上田電鉄が有りますので、当社は2代目と言う事となります。 当券は、上田交通時代の乗車券を、社名部分の訂正印の押印にて、流用しています。 ● |
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平成20年10月3日、平成23年7月4日、上田電鉄、下之郷〜中野、170円、下之郷駅発行、社地紋。 上田電鉄の鉄道路線は、上田駅〜別所温泉駅を結ぶ、別所線(旧、川西線)の、全15駅で構成され、 終点の別所温泉駅構内外れには「丸窓電車」で有名な、戸袋に丸窓の有るレトロな、モハ5250が、展示されています。 |
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昭和20年8月25日、別府軽便鉄道、別府港駅〜中野駅(よりゆき)、3等、3銭、別府港驛発行、社地紋。 中野駅は、大正12年3月18日の、別府軽便鉄道土山線(別府港駅〜新土山駅=後に、国鉄山陽本線と同じ土山駅となる)開業後の、 昭和7年(月日不明)に開業します。 また、別府軽便鉄道は、昭和21年4月2日に、別府鉄道に改称されています。 |
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昭和56年7月12日、別府鉄、土山駅〜中野駅(からゆき)、100円(運賃変更印=130円)、土山駅発行、社地紋。 大正12年3月18日の、別府鉄道土山線開業時に、国鉄山陽本線の土山駅に、乗り入れています。 運賃変更の押印で、旧料金100円から、新料金130円に変更されていますが、実料金の表示はなされていません。 |
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昭和58年11月12日、別府鉄道、別府港駅〜中野駅(からゆき)、130円、別府港駅発行、社地紋。 昭和59年1月31日(廃止最終日券)、別府鉄道、別府港駅〜中野駅(からゆき)、130円、別府港駅発行、社地紋。 昭和59年2月1日に、別府鉄道全線(野口線=大正10年9月3日開業、土山線=大正12年3月18日開業)の廃線に伴い、 土山線、中野駅(島式ホーム1面1線の地上駅、乗務員に下車申告で停車)は、廃止となりました。 |
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昭和37年10月20日、南部縦貫鉄道開通記念乗車券(開業初日券)、七戸駅〜中野駅(からゆき)、25円、2等、社紋影、七戸駅発行、社地紋。 南部縦貫鉄道と言えば、開業時からのキハ101、102が有名ですが、バスの部品を流用して作られた、富士重工業製の気動車です。 可愛い風貌と製造内容から、レイルバスの愛称で、広く親しまれていました。 ● |
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昭和50年2月22日昭和50年2月22日(年数5が欠落)、南部縦貫鉄道、天間林駅〜中野駅(からゆき)、10円、2等、天間林駅発行、社地紋。 昭和58年5月2日、南部縦貫鉄道、天間林駅〜中野駅(からゆき)、80円、天間林駅発行、社地紋。 平成52年1月29日、南部縦貫鉄道、野辺地駅〜中野駅(からゆき)、240円(運賃変更印)、野辺地駅発行、社地紋。 左の券では、どうした事か、ダッチングの年数の昭和50年が、昭和0年と打たれていて、頭の十桁の5が欠落をしています。 ● |
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昭和42年6月1日、南部縦貫鉄道、七戸駅〜中野駅(からゆき)、25円、2等、七戸駅発行、社地紋。 昭和59年9月19日、南部縦貫鉄道、七戸駅〜中野駅(からゆき)、190円、七戸駅発行、社地紋。 平成7年2月18日、南部縦貫鉄道、七戸駅〜中野駅(からゆき)、230円、社紋影、七戸駅発行、社地紋。 開業時と晩年期には、乗車券や入場券に迄、深紅の社紋が中央に配置されていました。 ● |
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車内補充券、南部縦貫鉄道、野辺地駅〜中野駅、600円、社地紋、車内9月20日発行。 車内乗車券と記されている、切符を所持していない無札の乗客や、乗越しの乗客等に対して、車内で発行する車内補充券です。 ● |
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平成9年5月5日、南部縦貫鉄道、入場券(休止最終日券)、中野駅、130円、社紋影、中野駅発行。 中野駅は昭和37年10月20日、南部縦貫鉄道線開業時に同時開業。 南部縦貫鉄道線休止に伴い、平成9年5月5日を最後に休止され、5年後の平成14年8月1日に、鉄道線共々、正式廃止となりました。 |
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昭和53年8月3日、長野電鉄、赤線入場券、信州中野駅、50円、信州中野駅発行。 信州中野駅は、大正12年3月26日に開業、3面4線(相対式2面2線、島式1面2線)の橋上駅。 平成14年3月31日迄は、木島線の分岐駅でしたが、廃線の為、同線が使用していた1番線は立入り禁止で、不使用となっています。 尚、中野単体の切符では有りませんが、赤線横一条引きが秀逸なので、掲載しております。 中野駅行きの私鉄からの連絡乗車券=茜堂 |
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私鉄からの、国鉄時代の中野駅迄の、準常備連絡片道乗車券と、 珍しい、運輸省時代の中野駅迄の、よりゆきの、一般式連絡片道乗車券を紹介します。 ● |
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平和24年4月29日、連絡乗車券(よりゆき、東急〜運輸省)、池上〜中野(大崎廣小路・目黒経由)、 3等、21圓、池上駅発行、東急、社地紋。緑 |
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昭和51年6月6日、連絡乗車券(準常備、総武流山電〜国鉄)、流山〜中野(馬橋・三河島経由)、270円、流山駅発行、総武流山電、社地紋。 右側の券の、小児断線の乙片の綴り穴位置が、鉄道省の昭和初期に見られた、黒点で印刷されています。 池上駅は、東京急行電鉄池上線の駅で、大正11年10月6日に、池上電気鉄道の駅として、開業しています。 時期的には、中野駅が、国鉄となる一ヶ月程前の、運輸省時代のダッチングが、印されています。 中野付帯のちょっと素敵な富士見切符=茜堂 |
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東京から富士山が拝めると言う、富士見町(ちょう)。一番有名なのは勿論、諏訪の富士見町(まち)ですが、 中野が付いている、丸ノ内線の中野富士見町(ちょう)駅を、紹介します。都内から富士が拝めると言う、素敵な地名です。 昔は、建物の林立も無く、結構色々な場所から富士山が望めた様で、富士見の地名が点在しています。 ● |
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昭和38年2月16日、地図式片道乗車券、中野富士見駅、20円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、中野富士見駅発行、社地紋。 昭和45年10月20日、金額式乗車券、中野富士見駅〜40円、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、中野富士見駅発行、社地紋。 中野駅とは、直接関係は無いのですが、 中野に縁起が良い名称(新、坂上、富士見)が、三つも付いているので、収録しています。 ● |
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昭和47年9月4日〜10月3日、通勤定期券、中野富士見駅〜地下鉄上野駅、帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)、営団、社地紋。 中野富士見駅発行の、赤坂見附駅乗換、1箇月補充式通勤定期乗車券。 中野富士見町駅は、丸の内線と銀座線を受け持つ、中野車両基地(中野検車区、中野工場)の最寄り駅です。 使用人名記載部分は、画像処理を行っております。 国外の中野駅=茜堂 |
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中野駅については、樺太庁にも、且つて存在していました。 昭和3年9月3日、樺太庁鉄道豊真線の、鈴谷駅〜逢坂駅開通の開業に伴い、樺太庁真岡郡清水村に同時開業。 中野駅は、東海岸と西海岸の、ほぼ中央の標高の高い所に有り、豊原からの道路が合流する、やや開けた地点に位置します。 大戦中の昭和18年4月1日、国策による南樺太の内地化政策により、当時の鉄道省に編入されます。 ● 先の敗戦により、ソ連軍に接収された後、昭和21年2月1日には、鉄道省より書類上廃止され、4月1日には、ソ連国鉄に編入され、 平成3年12月25日、ソ連の崩壊により、ロシヤ国鉄に引き継がれますが、 平成6年、中野駅が有った、豊真線の大部分(瀧ノ沢駅〜宝台駅)は、広軌化限界の為に惜しまれつつ、廃止されました。 ● 豊真線の、中野駅のロシヤ国鉄名は、オジダーエヴォ駅と呼ばれていました。 |
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解説に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。 ● |
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