月刊写真/茜堂
【思い出の今月の鉄道写真=茜堂】 |
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思い出の今月の鉄道写真一枚は、リバイバル画像として、掲載しています。
茜堂の鐵路趣味の、今月の鉄道写真一枚のバックヤードを、ご要望にお応えし、別頁で復活動態保存をさせて頂きました。 ● 大きな掲載画像は、1点のみ。 昨今、復活動態保存機のSL達が、各地で活躍をする中、静態保存に転ずるカマ達も有り、不安定な要素の中、 当頁では容量の続く限り、存続して行く所存です。宜しくお付き合いの程、お願い申し上げます。 ● 尚、今回、画像に対してのコメントを、 下段に於いて付記して居りますので、併せてお楽しみ下さいませ。 |
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2017/9/1掲載、古老機関車8620と9600群、若松機関区。 |
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【思い出の今月の鉄道写真に寄せて=茜堂】
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■2017年度掲載■
茜堂思い出の今月の鉄道写真に寄せて。 夜を迎える洛陽の風情ですが、実は早朝にお邪魔した、金色に輝く目覚めの機関区の姿です。 庫の向こう側には、白線が施された9600が停留しています、59684号機です。その中間に、転車台が置かれていました。 若松機関区は、筑豊本線の起点、若松駅に隣接されて、筑豊本線を始めてとし近隣各線の列車牽引機を、数多く配置していました。 また、筑豊地域に広がる、幾多の炭田の運炭路線から集約する、貨物船舶への輸送基地でも有りました。 後期の機関車配備では、8620、9600、B20、C11、C51、C55、C57、D50、D51、D60等、数多くのSLが在籍していました。 明治23年12月に、筑豊興業鉄道の若松機関庫として開設され、翌年の8月30日に、若松駅〜直方駅間で開業致します。 明治30年10月1日には、九州鉄道に買収され、若松機関庫も移管されています。 明治40年7月1日には、九州鉄道が国有化された為、同機関庫も国鉄に移管されました。 昭和11年9月1日に、若松機関庫から若松機関区に、名称を変更。昭和49年6月、筑豊本線無煙化により、乗務員区となります。 昭和59年2月、門司機関区に吸収統合される形で、長い歴史に幕を閉じます。 その広大な跡地は、久岐の浜シーサイドとして再開発され、現在、数多くの高層マンションが林立しています。 残念乍、若松機関区の面影は残されて居らず、かつての2番線側の、側線2本と、機回1本は廃止され、ホーム線のみと寂しくなり、 平成29年3月4日、駅遠隔案内システム(Smart Support Station)「ANSWER」を導入し、実質、無人駅化されました。 駅遠隔案内「ANSWER」は、カメラと音声対応によって、駅の乗客とコミュニケーションを、はかれるシステムで、 朝のラッシュ時(6時30分〜8時30分)の2時間のみ、駅員が配備され、各種営業にあたります。 |
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当ページの掲載写真は、茜堂による原盤ネガや原盤ポジからの画像、
或はデジタル撮影画像の為、無断複写や画像への直リンクは禁じております。 上記記述に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。 ● |
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