月刊写真/茜堂

【思い出の今月の鉄道写真=茜堂】


思い出の今月の鉄道写真一枚は、リバイバル画像として、掲載しています。
茜堂の鐵路趣味の、今月の鉄道写真一枚のバックヤードを、ご要望にお応えし、別頁で復活動態保存をさせて頂きました。

大きな掲載画像は、1点のみ。
昨今、復活動態保存機のSL達が、各地で活躍をする中、静態保存に転ずるカマ達も有り、不安定な要素の中、
当頁では容量の続く限り、存続して行く所存です。宜しくお付き合いの程、お願い申し上げます。

尚、今回、画像に対してのコメントを、
下段に於いて付記して居りますので、併せてお楽しみ下さいませ。


茜堂-DD54生野駅

2014/1/1掲載、DD54 38号機、DD54、DD54 17号機、播但線、生野駅構内保留線。





【思い出の今月の鉄道写真に寄せて=茜堂】



■2014年度掲載■
茜堂思い出の今月の鉄道写真に寄せて。

DD54形ディーゼル機関車は、搭載機関を、西ドイツマイバッハ社からのライセンスを受けて、三菱重工業が生産しました。
兎に角、重大な故障が多い機関車として、当時から夙に有名でしたが、改良の末、重連で御召しを牽引した事も有り、
京都〜浜田間では、寝台特急「出雲」を一時期、米子機関区所属機が、担当していました。

然し乍ら、その後も、故障が多発し、保守費用が膨大に膨らむ事に因って、順次廃車され、昭和53年を最後に、早期廃車と言う汚点を残しています。
昭和41年誕生のDD54 1〜3号機が量産試作機で、DD54 4〜24号機が二次型、DD54 25〜40号機が三次型で、昭和46年に完了。
各部仕様で細分化をすると、1〜6次車に区分されます。

写真左手前の38号機は三次型で、窓ガラスがHゴムでの支持となっています。その後ろは、ナンバー不明の二次型。
右側奥の17号機は二次型で、窓枠がステンレスで、精悍な面構えをしています。

配属は、福知山機関区に32両、米子機関区に8両がそれぞれ配備され、
山陰本線、播但線、福知山線のC75やC58等の、無煙化の為に投入されましたが、播但線では故障の為、
先務機にC57が付く等、些か足手まといで、本末転倒な状況下に有りました。

大阪駅でDD54を見る時は、楽しいと思ったのですが、新見機関区に伺った際に、DD54 36号機が、
D51 937号機とD51 256号機の、後ろに繋がっていた時は、些かショックで、伯備線もかと驚きを隠せませんでした。
最後のSLが、追分操車場での稼働を終了したのが、昭和51年3月26日。DD54の最終稼働が播但線645列車で、昭和53年6月18日の事。

僅かだが、意地でもSL終焉迄は、満身創痍で生き抜いたと言う、気迫の赤武者であった。





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