明治時代の神戸/茜堂
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古の寫眞で見る明治期の神戶=茜堂
茜堂-明治期の神戸続編茜堂-神戸市電記念切符茜堂-鐵路趣味
茜堂-明治の光と風(神戸停車場)
初代神戸停車場駅舎前、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

港の街、神戸。明治時代の初期の頃の、神戸の風景を紹介します。
神戸市は、異国情緒豊かな、明治以来の国際的な港町で、
穏やかな瀬戸内海に面し、間近には緑豊かな、六甲山系が東西に走ります。
平氏政権での福原京の造営、一ノ谷の合戦の地で、古来より式内社(名神大)生田神社の、社領に属していました。
   

租庸調により、神社の維持修理にあたった民戸を、神戸(かんべ)と称した事に起因する、地名だと由来されています。
神地神戸(かんべ)に始まり、中世には紺戸(こんべ)と称し、近世に神戸(こうべ)へと、変換されました。

   

ここでは明治6年頃からの、神戸周辺の鉄道施設と、名所旧跡等の風景写真を、当時の鶏卵写真(絵葉書含む)の画像で、紹介をしています。
鶏卵紙印画(アルビューメンプリント)は、明治期に流行っていた、百年以上も前に使われていた印画技法で、
鶏卵紙は、コロジオン湿板ネガと密着し、太陽光で焼付けした後、水洗と定着液だけで、プリント出来る印画紙です。
   

上記イメージは、開業当初の「神戶停車塲」です。
尚、以下の解説内での表現が、停車場と駅との表示が混合していますが、同じ意味だとご理解願います。



生写真と絵葉書で見る明治期の鉄道風景=茜堂

上り列車の始発駅、神戸停車場の開業当初の姿や、沿線の貴重な鉄道風景等をご覧下さいませ。

茜堂-神戸停車場

写真帳の表題では「神戶停車塲」と、記載されています。
神戸停車場が開業したのは、明治7年5月11日で、場所は今のJR神戸駅では無く、海側の旧湊川駅(貨物駅)辺りに有りました。

   

茜堂-神戸停車場

初代神戸停車場駅舎前の、公園の様な植栽、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

新橋停車場開業より二年後の、明治7年5月11日、大阪〜神戸間に、第二の鉄道が開業され、神戸停車場が誕生します。
神戸駅から、大阪駅までの全長は32.7Kmで、神戸駅〜三ノ宮駅間は、複線で開業しました。
駅舎は、
レンガと木造平屋で、線路の海側に位置し、駅前には噴水や植栽が、公園の様に整備されていました。
   

駅舎の向こう側には、客車庫や駅長官舎に仕上工場、客車修繕工場、貨物工場、木工場等が、広い構内に設備されていました。
画面の左側(東側)には、海側にカーブをし、少し行った所に転車台と、貨物上家に鉄道桟橋が、設けられていました。

茜堂-鉄道桟橋

写真帳の表題では「銕道桟橋」と、記載されています。
神戸停車場先の、貨物上家から続く鉄道桟橋、長蛇の有蓋車と無蓋車が写っています。

   

茜堂-鉄道桟橋

神戸停車場から、先に伸びる、日本初の鉄道桟橋、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

船からの、貨物積み降ろしの便を図る為に、神戸駅構内の海寄りに設置された、日本最古の鉄道桟橋です。
明治9年に、完成した鉄道桟橋は、現在のJR西日本大阪資材センター横の、川崎造船第四ドックハウスから伸びる、突堤部に有りました。
戦争時代には、多くの物資と人員を運ぶ為、昼夜を問わずに、フル稼働をしていました。
   

昭和3年12月1日、貨物駅と鉄道桟橋に続く連絡線は、小野浜駅〜湊川駅間延伸開業で、東灘信号場から神戸臨港線経由となり、
貨物部門が、湊川駅として分離されました。只、湊川駅が、神戸駅と別線別駅扱いとなったのは、昭和46年4月6日の事です。
尚、神戸臨港線は、平成15年12月1日に、廃止されました。画像は、
神戸駅の歴史頁にも掲載。

茜堂-相生橋

写真帳の表題では「三ノ宮銕道、相生橋銕道、相生町楠公」と、記載されています。
相生橋は、神戸停車場構内の東外れに有った、跨線橋で、ここからの鉄道風景は絵葉書になる程、有名な鉄道のお立ち台でした。

   

茜堂-相生橋から見る線路

日本初の跨線橋、相生橋から、線路を望む、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

相生橋から、三ノ宮方面を望む。画面中央には六甲の山々が、当時は、神戸駅〜三ノ宮駅の一駅間のみ、複線区間でした。
   

茜堂-相生橋から見る線路(絵葉書)
茜堂-相生橋から見る線路(絵葉書表)
外国宛の書面、
消印は、明治11年3月10日。
絵葉書(発行元は不明)です。

日本初の跨線橋、相生橋から、市街を望む。

上記の開業当初と比べて、線路の本数が、格段に増え、ポイントが、かなり増やされています。
また、相生通には、電柱が立ち並んでいます。線路奥の煙の横には、善福寺(後のモダン寺、現在の本願寺神戸別院)が、写っています。
   
輝く大きな砂箱が特徴のSL、2号機関車(2-4-0、A4形-国鉄120形)が、可愛い貨車を連ねて、入替え作業をしています。
機関車の制動は、手ブレーキで、当時の貨物列車の先頭には、無蓋車の中央にハンドブレーキを設置した、車両も連結されていました。
神戸駅停車場構内の出入口付近なので、上記の開業当初と比べて、列車本数も増えた為、分岐線の数が、格段に多くなっています。
   

手彩色された、高級(外人用)絵葉書です。初期の頃としては、細かな箇所も手際が良く、かなり丁寧に彩色が施されています。
外国宛の葉書で、四銭の切手が貼られていて、消印として、JAPAN、明治11年3月10日の押印が有ります。
郵便葉書である旨の表示は、日本語も含め、5カ国語で記されています。国際的にも発展しつつ有る、神戸を表しています。
   


茜堂-相生橋

相生橋から、海側(神戸駅舎側)を見る、右端に映ってるのは、鉄道技師の外国人官舎か、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

相生橋から海側(神戸駅舎側)の元町通は、湊川神社が有る、山側の相生町や多聞通と比べ、まだ賑わいが無い様です。
   

茜堂-相生橋から見る相生町

相生橋から見る、相生町、多聞通、右手に見える森が、湊川神社(楠公さん)、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

日本で2番目の鉄道が、大阪〜神戸間に開通した時、旧来の西国街道が、鉄道で分断された為に、作られたのが跨線橋の相生橋です。
相生橋は、日本最初の跨線橋となり、外国人が設計し、幅三間(5.45m)の木製で、車の通行は禁止されていました。
橋上から、汽車が見える名所として「川が無いのに橋がある」と歌われ、跨線橋の袂には「兵庫県里程元標」の木柱が、設置されました。

   

明治12年には、相生橋の東詰めに、神戸警察署が設置されます。明治22年に、相生橋は鉄橋となり、車も通行出来る様になりました。
明治43年に、神戸電気鉄道(後の神戸市電)が、相生橋を通る様になり
「兵庫県里程元標」が、石柱に変わります。
昭和6年には、鉄道高架の為、相生橋が「兵庫県里程元標」の石柱共々、撤去されました
   

兵庫県里程元標は、一次行方不明に成りましたが、3年後に偶然発見され、神戸市が保管。
湊川神社正門右手に、再建立されていましたが、平成16年には、相生橋のあった付近の「きらら広場」へ、移設されました。

茜堂-三ノ宮停車場

写真帳の表題では「三ノ宮停車塲」と、記載されています。
三ノ宮停車場が開業したのは、明治7年5月11日、場所は今のJR三ノ宮駅では無く、現在の元町駅の場所に有りました。

   

茜堂-三ノ宮停車場

初代三ノ宮停車場、下りホームから、神戸方(西側)を望む、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

開設当初の三ノ宮停車場は、駅名の通り三宮神社の、山側近くに有りましたが、明治から大正にかけて、
外国人居留地設置での、要件事項であった、生田川(二級水系の本流)の、氾濫水害防止の為の、付け替え工事を契機に、
集落が東側に、大きく拡張した為、三ノ宮駅は、昭和4年3月の国鉄高架化に伴い、東へ移動し、現在の場所に移設されました。
   

然し、旧国鉄三ノ宮駅付近は、官公庁や海運商事会社等が有った為、政治経済の中心地となっていた事から、
地元から、再び駅を設置して欲しいとの、請願が出され、昭和9年7月20日に、旧三ノ宮駅跡に、旧国鉄の元町駅が開業しました。
因に、旧生田川河川敷は、加納宗七に払い下げられ、これが加納町の由来となっています。

   

茜堂-三ノ宮停車場(絵葉書)
茜堂-三ノ宮停車場(絵葉書表)
外国宛の書面、
消印は、明治24年2月14日。
絵葉書(発行元は不明)です。

初代三ノ宮停車場、住吉停車場へ向け、出発。

一見、複線区間の様に見えますが、左線路はこの先で、途切れていて、ここから先は単線区間となっています。
右線路の客車2両目辺りに、下りホーム入線用の、分岐線が見て取れます。
   
英国生まれのネルソン、6200(型式D-9)に牽引される、木造ボギー客車の列。上り列車が三ノ宮ステーションを、発車しました。
三ノ宮停車場ホームに掛かる跨線橋には、SLの煤跡が2条確認出来ます。左側が薄いのは絶気してホームに入る為で、
逆に右側が濃ゆいのは、出発時の力行の爆煙によるものです。当時の鉄道事情が良く分かる、貴重な絵葉書です。
   

手彩色された、高級(外人用)絵葉書です。空の青のグラデーションや、細かな箇所にも手際が良く、可成り丁寧に彩色が施されています。
外国宛の葉書で、四銭の切手が貼られていて、消印として、JAPAN、明治24年2月14日の押印が有ります。
郵便葉書である旨の表示は、日本語も含め実に14カ国語で記されています。国際的にも発展しつつ有る、神戸を表しています。
   


茜堂-旧三ノ宮駅付近(絵葉書)

神戸市内高架鉄道、旧三ノ宮駅付近、下りC51牽引客車、KOBE AKANISHI発行絵葉書。

旧三ノ宮駅辺りの山側から望むと、C51型蒸気機関車が、ダブルルーフの客車を牽引する、下り列車が写っています。
左端には、春日野道の、葺合ガスタンク(神戸瓦斯、現、大阪ガス)が、写っています。
昭和48年頃迄は、円筒形タンクでしたが、現在は、液化天然ガス貯蔵の為、球形タンクに変わっています。
   

左側遠方の海岸沿いには、今は無き、川崎製鉄葺合工場(平成7年12月末生産終了)の、煙突群が写っています。
また右端には、元町通り沿いに有る、立派な構えの大丸神戸店が有り、大きな大丸マークと、屋上の旗等が、写っています。
   

高架ですので、昭和6年10月10日以降となり、同日移転した、旧三ノ宮駅の施設の一部と、思しき物が機関車の後ろに写っています。
また、手前に有る電柱は信号架線で、まだ非電化ですので、昭和9年7月20日以前の、画像と思われます。
昭和9年7月20日に、電化されると同時に、旧三ノ宮駅跡地に、元町駅が開業をしています。
   

旧駅舎の一部が残っている事と、電化の為のポール等がまだ無い事から、昭和7〜8年頃の撮影だと推測致します。

茜堂-住吉川隧道

写真帳の表題では「攝津住吉川銕道」と、記載されています。
東から、芦屋川と、住吉川に、石屋川の、3つの河川は、線路より高い所を流れている為、河川を隧道(天井川隧道)で通過しています。

   

茜堂-住吉川隧道

住吉川隧道、明治6年撮影、隧道先の山頂や地面が、右下がりなので、上り方面を撮影、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

日本で最初の隧道の座を、一足先に完成した、石屋川隧道に譲りましたが、隧道の始祖の一つとしてまだ健在です。
芦屋川、住吉川、石屋川での河川の隧道工事は、隧道自体を設置した後に、埋め直す「開削工法」がとられました。
住吉川は全長4.073Kmで、流域面積11.490K平方メートルの二級河川で、表六甲河川群に属し自然が残る綺麗な河川です。
   

現在は高架の為、お隣の石屋川のみ、河川の上を通過しています。
因に、旧石屋川隧道跡には「日本で最初の鉄道トンネル旧石屋川隧道跡」の石碑が、平成15年3月に、JR西日本の手に因って設置されました。

茜堂-西ノ宮停車場

写真帳の表題では「西ノ宮停車塲」と、記載されています。
西ノ宮停車場が開業したのは、明治7年5月11日、ホーム端の神崎方(東側)には、立派な跨線橋が造られています。

   

茜堂-西ノ宮停車場

西ノ宮停車場、撮影は下りを望む、跨線橋の上に、関係者が並んでいます、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

江戸時代より西宮神社の門前町、西国街道、中国街道の宿場町、そして貿易港や漁港や酒造所として、栄えて来た西宮は、
人口も多かった事から、西ノ宮停車場が開設されました。駅は市街地から北東に離れた、東川の東側農村部(芝村)に、造られています。
鉄道開業により、南北方向の交流が絶たれ、人の流れは、東西方向に広がる様になりました。
   

西ノ宮駅は、三ノ宮駅と同様に、駅の有る地名には「ノ」は、付けられていません。
これは、東京の人には読めないとの理由から、当時の工部省鉄道寮(旧国鉄の前身)の、判断で駅名に「ノ」が、付けられています。
尚、西宮市から、市名と同名駅にとの要請を受け、平成19年3月18日、隣駅の夙川駅開業に合わせて、西宮駅に改称されました。
   

それでは、ここから周辺の建造物、名所風景や鉄道事情、切符類等、明治期の神戸続編にて紹介致します。
最下段に設置されていますリンクバーから、お進み頂けます。



生写真で見る神戸市内の風景=茜堂

摩耶山から神戸市内を望むと、国鉄線が、中程を東西に貫いているのが、見て取れます。
神戸の港に、林立する川崎製鉄所の煙突群、硬度成長に向かう、昭和中期の懐かしい風景です。

茜堂-摩耶山からの神戸の眺望

昭和時代の写真ですが、この一作のみ、箸休めにご覧下さいませ。
   

茜堂-摩耶山からの神戸の眺望

父が撮影した、摩耶駅からの神戸市内の眺望、撮影は昭和32年5月19日。
ネガは6×6なので拡大をすると、沖合の防波堤や、省線の煉瓦造りのアーチが、そこかしこに確認出来ます。
   

左手海側に林立する煙突は、葺合(現、生田町)に有った、川崎製鉄の煙突です。平成7年末を以て、生産を終了しています。
その右手に、大きく付き出している突堤が、第四突堤で、現在、ポートアイランド(人工島)に通じる、ポートライナーが走っています。
画面右手の、白く横に見えるのが、国鉄三ノ宮駅で、最右手の埠頭には三菱造船や、川崎造船が位置しています。

茜堂-摩耶鋼牽鉄道の切符類

上の写真の摩耶山と、裾野とを結ぶ、摩耶鋼牽鉄道の切符類をご覧下さい。
摩耶鋼牽鉄道とは、ワイヤーで線路の上の車両を牽引する、摩耶ケーブル線の事で、
大正14年1月6日に、摩耶鋼牽鉄道が、摩耶山〜利天上寺への参詣路線として、高雄駅〜摩耶駅間で開業しています。
   


茜堂-摩耶鋼牽優待乗車券 茜堂-摩耶鋼牽優待乗車券

昭和4年7月1日〜12月31日-6ヶ月、優待乗車券、鋼牽線、高雄駅〜摩耶駅間、右書表示券、摩耶鋼牽鉄道。
昭和5年7月1日〜12月31日-6ヶ月、優待乗車券、鋼牽線、高雄駅〜摩耶駅間、摩耶鋼牽鉄道。
   

茜堂-摩耶鋼牽優待乗車券 茜堂-摩耶鋼牽優待乗車券

昭和6年10月1日〜昭和7年3月31日-6ヶ月、優待乗車券、鋼牽線、高雄駅〜摩耶駅間、摩耶鋼牽鉄道。
昭和8年10月1日〜昭和9年3月31日-6ヶ月、優待乗車券、自動車線、大石・上筒井連絡、鋼牽線、高雄駅〜摩耶駅間、摩耶鋼牽鉄道。

全て、摩耶鋼牽鉄道の優待乗車券で、上段右の券は、右書き表示の券となり、以降は、現代書きの左書改定券となっています。
それぞれ、裏面には、使用に際する、4項目の注意書が、漢字と片仮名によって記されています。
また、下段右の券は、自動車線との共通優待乗車券となっています。尚、氏名部分は、画像修正を施しています。
   


茜堂-摩耶鋼牽連絡往復券

昭和4〜5年頃8月29日、連絡往復券、60銭、自動車線、大石・上筒井連絡、鋼牽線、高雄駅〜摩耶駅間、軟券、摩耶鋼牽鉄道。
   

茜堂-摩耶鋼牽往復乗車券
茜堂-摩耶鋼牽小児乗車券
茜堂-摩耶鋼牽乗車券

昭和4〜5年頃8月29日、往復乗車券、40銭、鋼牽線、高雄駅〜摩耶駅間、軟券、摩耶鋼牽鉄道。
昭和4〜5年頃8月24日、片道乗車券、25銭、鋼牽線、高雄駅〜摩耶駅間、軟券、摩耶鋼牽鉄道。
昭和4〜5年頃8月24日、片道乗車券、小児、12銭、鋼牽線、高雄駅〜摩耶駅間、軟券、摩耶鋼牽鉄道。

上記券共に発行日は、裏面に押印されている、上筒井の発行印から、8月24日、8月29日で有る事が分かりますが、
発行年号につきましては、上の連絡往復乗車券が、右書き表示で有るのに対して、同日付の下の往復乗車券が、左書改定券で有る事から、
当路線では書式改定の、過度期で有る事が分かりますので、因ってその時期を、昭和4〜5年と判断致します。
   


茜堂-摩耶鋼牽小児乗車券
茜堂-摩耶鋼牽乗車券
茜堂-摩耶鋼牽乗車券

昭和4〜5年頃8月24日、片道乗車券、小児、5銭、畑原線乗合自動車、軟券、摩耶鋼牽鉄道。
昭和4〜5年頃8月24日、片道乗車券、10銭、篠原線乗合自動車、軟券、摩耶鋼牽鉄道。
昭和4〜5年頃月日不明、片道乗車券、10銭、上筒井大石石屋川線乗合自動車、軟券、摩耶鋼牽鉄道。

連絡乗車券での、自動車線の発着駅は、鋼牽線高雄駅の東南に位置する大石停留所か、西南に位置する上筒井停留所の、
どちらかの選択で、往復での異なった停留所でも、可能となっています。
自動車線では、神戸市電気局(神戸市交通局)と、摩耶鋼牽鉄道の乗合自動車が、運行していました。


摩耶鋼牽鉄道は、その後、戦争での不要不急線として、昭和19年2月11日に運行を休止し、翌年には、軌道も撤去されています。
運行を再開したのは、昭和30年5月7日の事で、実に戦後から10年も経っています。
更に、翌年11月2日には、高雄駅から、南へ延伸する予定で有った計画を断念し、その路線の免許を返上しています。
   

昭和50年10月29日に、六甲越有馬鉄道と合併し、六甲摩耶鉄道の路線となりました。
翌年1月30日に、利天上寺が放火の為、全焼し参詣路線としての営業が、成り立たなくなり、窮地を迎える事となります。
更に、平成7年1月17日早朝の、阪神淡路大震災で被災し、復旧の見通しが立たず、長期休止となっています。
   

その後、平成12年4月25日、奥に続く摩耶ロープウェーを管理する、神戸市都市整備公社へ無償譲渡し、公社の路線となっています。
以降、復旧工事が着手され、翌年3月17日、摩耶ロープウェーと共に、運行が再開されました。
それに伴って、麓側の駅を「摩耶ケーブル駅」に、頂上の駅を「紅駅(紅の駅=公式通称)」と、改称されています。
   

尚、神戸市都市整備公社は、平成25年1月1日には、神戸すまいまちづくり公社に、改称されています。



銀塩写真葉書で見る省線電車開通の風景=茜堂

省線電車とは、鉄道省、運輸通信省、運輸省の時代に、大都市周辺(大阪=京阪神、東京=首都圏)で運転された、
近距離専用電車、或は近距離専用電車線の呼称で、国鉄時代には国電と呼ばれていました。
関西では、昭和7年に省線電車が、最初のモハ40系でデビューし、翌々年には吹田駅〜須磨駅間が電化開業しています。
   

大阪鉄道局発行の、銀塩写真に依る、昭和9年7月20日、大阪駅〜須磨駅間電化に伴う、省線電車開通念絵葉書にて、紹介致します。
以下タイトルは、タトー(絵葉書カバー)に記載されている、キャプションとなっています。
順番は、タトー記載順では無く、大阪より下り順に配置しています。


茜堂-大阪駅高架上プラットフォーム

昭和9年7月20日、当時の大阪駅は、まだ2代目駅舎の頃で、島式ホームが3面(1〜6番乗場)しか無く、
昭和11年頃には、2代目駅舎が取り壊され、3代目駅舎建設のため仮駅舎となり、ホームが5面(1〜10番乗場)に増えています。
   

茜堂^大阪駅ホーム

大阪駅ホーム、塚本方を望む、大阪鉄道局発行、阪神間省線電車開通記念、印画紙版(リアルフォト)の絵葉書。

写真は、大阪駅4番乗場から塚本方の、下り方面を撮影しています。
因に、塚本駅は宮原操車場方面への、西回り回送線(デルタ線)設置に伴い、昭和9年5月25日に、鹿島信号場(2代目)の開設後、
昭和9年7月20日、その東側に塚本駅が開業しています。同時に鹿島信号場は、塚本駅に統合されました。

茜堂-武庫川橋梁上の電車

日本初の錬鉄製ワーレン型、武庫川橋梁は、架け替えや幾度もの改修を重ね、各時代の部材が残された、珍しい橋梁となっています。
大正3年〜同4年に掛けて、大規模工事の末、現在のプレートガーター橋に、架け替えられています。
上り線側に残されている、煉瓦橋台は当時の物で、下り線側のコンクリート橋桁、橋台は、川下側に増設された、複々線化時の物。
   


茜堂-武庫川橋梁

甲子園口駅に向かう、武庫川橋梁下り線上のモハ43系電車、大阪鉄道局発行、阪神間省線電車開通記念、印画紙版(リアルフォト)の絵葉書。

撮影は、土手の踏切からの後追いで、過ぎ行くモハ43系電車の、密着連結器が写っています。
踏切から撮られていますので、下り電車で、立花駅から武庫川橋梁を渡り、甲子園口駅へと向かっています。
複々線となっていますので、昭和12年10月10日以降の、画像となります。

茜堂-芦屋変電所

昭和9年7月20日の、電化開業と共に、要所要所の中継地点として、変電所が設置されました。
その一つに、芦屋駅とさくら夙川駅の間に有る、山側に向かう廃線跡の送電線の先に、JR西日本芦屋変電所が有ります。
   

茜堂-芦屋変電所の内外

芦屋変電所の外観と回転変流機、大阪鉄道局発行、阪神間省線電車開通記念、印画紙版(リアルフォト)の絵葉書。

大正末期に小高い山を削り開いて、鉄道省官舎が作られ、昭和9年にその手前に、芦屋変電所が設置されました。
その時の土砂が、芦屋駅東の引込み線(廃線築堤跡)を、使用して運搬し、神戸港中突堤、新港突堤の築港に使われています。
本線迄の、芦屋変電所からの送電線は、その廃線築堤跡を使用しています。
   

因に、昭和8年〜昭和42年迄、芦屋変電所で使われていた、回転変流機は保管され、準鉄道記念物に指定されています。
回転変流機は、電動発電機よりも効率が良く、交流を直流に変換する、日立製作所製の回転機です。

茜堂-神戸高架下変電所の内外

場所が良く分からないが、神戸駅〜元町駅〜三ノ宮駅間には、商業施設が入っているので、それ以外の場所であろう。
   


茜堂-神戸高架下変電所の内外

神戸高架下変電所の外観と変流機、大阪鉄道局発行、阪神間省線電車開通記念、印画紙版(リアルフォト)の絵葉書。

若し、神戸駅以西を考えれば、鷹取工場が位置するので、中継地での変電所は不要で有る。
雰囲気的には、三ノ宮駅〜阪急春日野道駅(東海道本線に隣接)間の様な、風情では有るし、中継での位置的にも符合はする。
近くには現在、野外に建てられた、JR西日本灘変電所が有るので、高架下から、こちらに移設したのかも知れません。

茜堂-元町、神戸両駅間高架線

昭和12年5月23日に、東灘駅(貨物)〜兵庫駅間が、複々線化されていますが、画像は複線の侭となっていますので、
電化の昭和9年7月20日〜複々線化の昭和12年5月23日の間に、撮影された写真だと推測されます。
昭和9年〜同12年頃の、神戸駅西側辺りの、古き良き時代の街並と、最新装備の電車が、綺麗に写し取られています。
   


茜堂=元町、神戸両駅間高架線

神戸高架線を走るモハ43系電車、大阪鉄道局発行、阪神間省線電車開通記念、印画紙版(リアルフォト)の絵葉書。

写真を見ると、高架線の手前右側に、医薬品卸会社三星堂が社旗を掲げ、その左側には、文具の三七十(みなと)屋の塔が見て取れます。
また、高架線の後方右側には、特異な容姿のモダン寺(浄土真宗本願寺派、本願寺神戸別院)が写っています。
更に、その山手の方には、下山手通りに有る、神戸聖ミカエル大聖堂が写っています。
   

高架の山側脇の左手には、村井旅館か、大きな旅館が写っていますが、現在はその名残りは、全く残されていません。
以上の、各被写体の位置関係から、撮影場所は、神戸中央郵便局の屋上からだと、推測されます。
   

高架線を走っているのは、下り4両編成のモハ43シリーズで、初の20m級長距離(当時として)省線電車です。
先頭から編成は、クハ58、サロハ59、モハ43、クハ58、台車はモーター部が、TR-25、他は、TR-23を履いています。
パンタグラフはスタンダードな、PS11、この43系電車から、密着連結器を全車揃って、最初から装備しています。
   

尚、明治期の写真に付きましては、昭和31年12月31日以前の物ですので、既に、著作権が失効されていますが、
当頁内の、鶏卵写真画像に就きましては、全面に渡り、スポッティングや、画像補正等の特殊修整加工を、施しておりますので、
作品画としての、新たな著作権が発生しております。無断複写や盗用等は、硬くお断り申し上げます。
   

また、当頁内、白茶色(セピア、アンバー系)の生写真のみが、明治6〜9年頃に撮影し焼き付けされた、明治期の鶏卵写真となります。
その他の絵葉書、銀塩白黒写真、切符類等は、必ずしも明治期の物では無い事を、ご了承願います。




解説に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、当方では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。
撮影場所につきましては、区画も変わっており厳密ではございません。町名相違の場合にはご容赦下さいませ。
本文中、敢えて旧漢字を使っている部分も有ります。混在しておりますが、こちらもご容赦下さいませ。

掲載画像に就きましては、茜堂所蔵の絵葉書や鶏卵写真に、画像修正を施して居りますので、新たな著作権が成立して居ります。
無断複写や盗用等は、慎んで下さいます様お願い申し上げます。

   
茜堂-リンクバー
茜堂-明治期の神戸続編茜堂-神戸市電記念切符茜堂-鐵路趣味