京都市電写真集/茜堂
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【都を駆抜けた市内電車達=茜堂】
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日本初の市街電車が、東洞院塩小路から伏見油掛通りへ走り出したのが、
明治28年2月1日の事。
東洞院塩小路に、七条停車場(京都駅前)が造られ、伏見下油掛までの伏見線(1067mm狭軌)の、営業が開始されます。
出発の合図からチンチン電車と呼ばれた、京都電気鉄道株式会社、京電です。
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市内路線を拡張して来た、その京電も17年後には強力なライバルを、迎える事となります。
明治45年6月11日に、四路線(1435mm標準軌)を、同時開業した京都市営電車です。
さしもの京電も、圧倒的な財力を持つ市電には力及ばず、
大正7年7月1日に買収され、京都市電の路線に編入されました。

茜堂-都大路を走る市電と懐かしの京都の電車。

その京都市電も、昭和33年9月16日の、今出川線の北野白梅町までの延長を最後に、路線の拡張を止めます。
昭和45年3月31日最終の伏見、稲荷両線の廃止を皮切りに、忍び寄る車社会の波に飲まれる様に、路線縮小の路を辿る事となります

昭和47年1月22日最終、四条、大宮、千本線の廃止。
昭和49年3月31日最終、烏丸線の廃止。
昭和51年3月31日最終、今出川、丸太町、白川線の廃止。
昭和52年9月30日最終、河原町(七条河原町以北)
、七条(七条河原町以西)、烏丸線の廃止。
四季を織りなす雅びな京の町を、83年もの長きに渡り走り続けた電車達にも、終焉の時が訪れてしまいます。

昭和53年9月30日最終、河原町、七条、東山、北大路、西大路、九条線の6路線が廃止。
(日付けは廃止日ではなく最終日を表しています)
これにて京都市電全線廃止となります。

茜堂筆者が、京都在住5年間に撮り貯めた写真を、以下に綴らせて頂きます。


茜堂-京都市電
茜堂-京都市電西大路七条


上の写真が、七条御前付近を颯爽と走るバイクのオジちゃん、実は写真と広告が大好きな牛乳屋さんです。
下の写真が牛乳屋さんの有る、西大路七条の交差点。
いつも前を通る度に呼び止められ、コーヒー牛乳を飲ませてくれました。

京都も平成9年の秋に、茜堂の古くから知人、FEELのN氏がカメラマン時代からの、その彼の車で伺ってから、随分とご無沙汰しています。
その後、平成24年1月、翌年9月、平成27年9月に、訪れましたが、京都は思い出どおり健在でした。


茜堂-京都市電七条

七条千本付近、昭和52年度の京都市電の、
さよならヘッドマークが付いています。


茜堂-京都市電西大路

西大路花屋町付近、少し上から撮ってみました。


茜堂-京都市電梅小路


梅小路駅〜丹波口駅間の、貨物支線(山陰連絡線)を潜ります。以前は山陰本線も、地上を走っていました。
画面左手奥が、梅小路機関区になります。



茜堂-京都市電梅小路


後方に見える2段の平行線は、高架が山陰本線で、地上が山陰連絡線です。
昭和51年3月16日、京都駅〜二条駅間が高架化され、短絡線だけ地上に残されています。

尚、この山陰連絡線は、平成28年2月28日に、廃止が予定されています。
更に、この地点には、平成28年4月29日に開業する、京都鉄道博物館の最寄駅として、平成31年春に新駅が開業する予定です。


茜堂-京都市電梅小路


3点共、梅小路蒸気機関車館で有名な、梅小路機関区付近で、山陰本線とアンダークロスする所です。
市電の他に、たまに法規無視のタクシーや、
緊急走行中のパトカー等が、サイレンを鳴らして、通過していました。


茜堂-京都市電京都駅
茜堂-京都市電京都駅


京都駅、2600型(600型の改造車)の、百万遍行きの急行です。
京都駅、1900型(900型の改造車)の、烏丸車庫行きの6系統、後ろに見えるのが中央郵便局。
廃止後に1900型は、一両を除き、全車両が塗装も替える事なく、広島の路面に、再活躍の場を見い出しました。


茜堂-京都市電
茜堂-京都市電西大路


西大路通りを北上中の車中にて、運転士さん後ろから失礼します。
同じく、北上中の4系統。



茜堂-雪の京都市電


この日は、珍しく平野部も雪、道路にも白い雪が積もりました。
昭和53年2月18日、土曜日、午前8時40分、西大路七条にて、頭に雪を被りながら凍える手で、停留所より撮影。

早朝からの雪で、バスや車はノロノロ運転。
国鉄も全線乱れている中、市電は大した乱れも無く、概ね平常運行でした。
山沿い以外の中心部での雪と市電は珍しく、撮影中がちょうど雪のピークで、10時頃にはすっかり道路の雪は、解けて無くなってしまいました。


茜堂-京都市電
茜堂-京都市電東寺
茜堂-京都市電東寺
茜堂-京都市電東寺


東寺の五重の塔、当時は有名な撮影地でしたが、交通量の多い所なので車体に、車が掛からないように、色々と苦労をしました。
人や車の混雑を避ける為に、21日の弘法さんと、25日の天神さんの縁日、更に五と十の付く日を外す事と、
順光になる、夕方の車の混雑前が、狙い目でした。

路面電車の撮影では、如何に車を画角から排除出来るかが、重要な作業です。
それこそ、主役が霞まぬ様にと、忍耐と運との戦いの場でした。



茜堂-京都市電知恩院カラー


東山七条、6系統の京都駅行きの1800型、緑豊かな智積院山門を背景に、涼しげな夏の一時。
智積院は、全国三千の末寺を擁する、真言宗智山派の総本山です。


茜堂-京都市電知恩院

東山七条、6系統の京都駅行き、智積院を後ろに。


茜堂-京都市電建勲神社

船岡、建勲神社付近。


茜堂-京都市電


七条大橋、京阪本線との平面交差地点、残念です京阪特急が画面に欲しい所です。
他社線とのダイヤモンドクロス地点と、併用軌道を次に紹介します。



茜堂-京阪2600系2048


七条駅を出発する、京阪本線の2600系2048、京都市電とのダイヤモンドクロス地帯へ向かう。
勿論、道路を横切る訳ですが、踏切の遮断機等は無く信号機のみ、二名の踏切警手が、人や車や市電を停車させ、安全の確保に努めます。
昭和62年5月24日に七条駅は、地下駅化されました。


茜堂-京阪6区券

大正5年9月30日、乗車券、六区券、金廿五(25)銭、通行税共、天満橋駅発行、京阪電鉄。

券面には、三条駅の記載が無く、終着駅が五条駅となっていますが、
五条駅は、明治43年4月15日に、京阪本線の京都側の終着駅として、開業します。


茜堂-京阪1区券

年月日不明、乗車券、壹区券、京阪電鉄。

三条駅迄延伸されたのが、大正4年10月27日の事で、当券も、大正4年10月27日以前の券となります。
五条駅は、平成20年10月20日に、清水五条駅に改称されました。
地紋は、上記の券と同じ模様となります。


茜堂-京阪区内復券

大正10年9月19日、乗車券、区内復券、金六銭、税共、五条駅発行、京阪電鉄。

当券から、延伸された三条駅が記載されています。


茜堂-京阪1区往券
茜堂-京阪1区復券
茜堂-京阪1区復券
茜堂-京阪1区往券

昭和3年1月27日、乗車券、壹区復券、森小路駅発行。昭和2年10月27日、乗車券、壹区往券、森小路駅発行、京阪電鉄。
昭和8年5月9日、乗車券、壹区復券。年月日不明、乗車券、壹区往券、森小路駅発行、京阪電鉄。

金拾四銭の、一区往復乗車券です。尚、掲載の往復左右の券は、共券では無く、それぞれ別の券となっています。


茜堂-京阪2区復券 茜堂-京阪2区往券

昭和15年9月11日、乗車券、貳区復券。昭和8年8月25日、乗車券、貳区往券、師団前駅発行、京阪電鉄。

金貳拾九銭税共の二区復券と、金貳拾九銭の二区往券です。尚、掲載の往復左右の券は、共券では無く、それぞれ別の券となっています。
師団前駅は、昭和16年9月1日に、藤森駅に改称されています。


茜堂-京阪8区復券

昭和3年10月28日、乗車券、八区復券、金壹圓拾貳銭、天満橋駅発行、京阪電鉄。


茜堂-京阪6区券

昭和4年4月6日、乗車券、六区券、金四拾参銭、税共、天満橋駅発行、京阪電鉄。


茜堂-京阪1区券 茜堂-京阪1区券 茜堂-京阪1区券
茜堂-京阪1区券 茜堂-京阪1区券 茜堂-京阪1区券

年月日不明、乗車券、壹区券、京阪電鉄。

券面には、昭和16年9月1日に、藤森駅に改称される前の、師団前駅が記されています。
その事から、昭和16年9月1日以前の、券で有る事が分かります。
戦争直前に駅名が、藤森駅に改称されたのは、軍の施設の場所が分かる為、対諜報処置の観点から、戦時体制に因るものであろう。


茜堂-京阪1区小児券

年月日不明、小児用乗車券、壹区券、京阪電鉄。

上記と同様、券面には、昭和16年9月1日に、藤森駅に改称される前の、師団前駅が記されています。
その事から、昭和16年9月1日以前の、券で有る事が分かります。
小児専用券として、十二歳未満用の表記が成されています。


茜堂-京阪乗車券

年月日不明、乗車券、壹区券、京阪電鉄。

従来の地紋とは異なり、鉄道省地紋に似た、丸に「KER」が、その周りに「でんてつけいはん」の文字があしらわれています。
昭和18年10月1日、戦時体制下の国策での、会社合併に因って、
京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の、路線になる直前の、左書文字の乗車券だと思われます。


茜堂-京阪電鉄

年不明6月29日、乗車券、3区、30銭、小児断線付、京阪神急行(阪急)時代。

京阪電気鉄道は、明治43年4月15日に、天満橋駅〜五条駅(現、清水五条駅)関で、開業します。
昭和18年10月1日、戦時体制下の国策での、会社合併に因って、京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の路線となり、
戦後、昭和24年12月1日に、会社分離に因って、京阪電気鉄道に戻っています。


裏面の日付押印から、6月29日の乗車発行券で、表面の表記が、京阪神急行となっている事から、
発行年は、昭和18年10月1日〜昭和24年11月30日の間に、発行された事が分かります。


券面下段左から、天=天満橋、關=関目、守=守口市、大=大和田、寝=寝屋川市、香=香里園、枚=枚方市、牧=牧野の本線各駅。
中断左から下段の続きで、樟=樟葉、八=八幡市、淀=淀、中=中書島、藤=藤森、東=東福寺、三=三条の本線各駅。
上段左側は交野線で、私=私市、郡=郡津、上段右側は宇治線で、宇=宇治、木=木幡を、それぞれ表しています。



茜堂-京福デオ301形301


ポールが懐かしい、京福叡山本線デオ301形301、路面電車風に見えるのは、元田中駅前の、京都市電とのダイヤモンドクロス(平面交差)地帯です。
勿論、こちらも道路を横切る訳ですが、踏切の遮断機は無く、踏切警手が活躍します。



茜堂-京福デナ500形507


ポールが懐かしい、京福叡山本線(現、叡山電鉄)をもう一枚、元田中駅にて、デナ500形507(元、阪神831形849)
ここより、京都市電との平面交差地点へ、向かいます。
画像の集電装置、トロリーホイールは、昭和48年には、スライダーシューに変更されています。


茜堂-京都電燈乗車券

昭和2年3月27日、壹区券、金参銭、八瀬駅乗車、京都電燈(後、京福電気鉄道〜現、叡山電鉄)時代。

叡山本線は、大正14年9月27日、京都電燈により出町柳駅〜八瀬駅(現、八瀬比叡山口駅)間で開業します。
その後、昭和17年3月2日に、京福電気鉄道に譲渡し、更に、昭和61年4月1日には、現在の叡山電鉄に譲渡しています。
平成14年3月29日、京福が保有する全株式を、京阪に有償譲渡し、京阪の完全子会社化されています。

以下の嵐山本線、北野線の切符正面にも、当券と同じ社章が有りますが、
これは、どちらも京都電燈の社章で、現在は、京福電鉄の社章として使われています。



茜堂-嵐電


太秦広隆寺駅前の、国宝弥勒菩薩半跏像で有名な広隆寺、楼門前を走る嵐電、モボ21形27号車。
京福嵐山線は、西大路三条駅〜山ノ内駅間と、蚕ノ社駅、太秦広隆寺駅付近が、併用軌道となっています。
平成27年10月13日、撮影。


茜堂-山ノ内駅

京福嵐山線、三条通(府道112号)の併用軌道、山ノ内駅。
葛野大路三条交差点を過ぎると、三条通は右側へ北上、線路は直進で専用軌道に入ります。
平成27年10月13日、撮影。


茜堂-京都電燈乗車券

年月日不明、片道金参銭、嵐山駅乗車、下段(嵐山本線)、上段(北野線)、京都電燈(現、京福電気鉄道)時代。

嵐山線は、神戸川崎財閥に因って、明治43年3月25日に、京都駅(現、四条大宮駅)〜嵐山駅間を、嵐山電気軌道として開業。
大正7年4月2日、京都電燈が嵐山電気軌道を合併、当券は京都電燈時代の乗車券です。
昭和17年3月2日に、京福電気鉄道に、譲渡しています。


茜堂-京都電燈乗車券

昭和4年4月14日、片道金拾貳銭、北野駅乗車、下段(嵐山本線)、上段(北野線)、京都電燈(現、京福電気鉄道)時代。

嵐山の次の「嵯峨駅前」を基に、推移を紹介致します。
明治43年3月25日に、嵐山電気軌道の「嵯峨停車場前駅」として、開業しています。
大正7年4月2日には、会社合併で京都電燈の駅となり、昭和2年に嵯峨駅前に改称されています。

平成19年3月19日に、現在の「嵐電嵯峨駅」に改称されました。
因に、駅前の元となった、現JR西日本の「嵯峨駅」は、平成6年9月4日に「嵯峨嵐山駅」に改称されています。



茜堂-京阪80形9


二両編成で東山三条駅の路面を、颯爽と走る京阪80形92、京津三条駅〜御陵駅間のみ、道路の中央を走行する併用軌道でした。
平成9年10月12日の、京都地下鉄東西線の開通に伴い、
御陵(みささぎ)駅から地下鉄乗入となり、この情景も見る事が出来無くなりました。


茜堂-京阪京津線乗車券

年月日不明、五区半、片道金貳拾貳銭、蹴上駅乗車、京阪電気鉄道京津(けいしん)線。

券面に、浜大津の記載が有りますので、大正14年5月5日以降、旧マークから、昭和18年9月30日迄の乗車券。
京津線は、大正1年8月15日、京津電気軌道として部分開業をし、同年12月13日に、古川町駅〜三条大橋駅間を正式開業します。

大正14年2月1日、京津電気軌道は京阪電気鉄道と合併し、京阪電気鉄道の京津線となりました。
同年5月5日に、札ノ辻駅〜浜大津駅間が延伸開業し、全線開通をしました。
昭和18年10月1日には、戦時国策に因り、京阪神急行電鉄と合併し、京阪神急行電鉄(阪急)の京津線となります。

戦後、昭和24年12月1日には、分割譲渡され、再び、京阪電気鉄道の京津線に戻りました。
その後、京都市営地下鉄東西線への乗入れの為、平成9年10月12日に、京津三条駅〜御陵駅間が、廃止されました。
因に、大津線とも呼ばれていますが、京阪電鉄大津鉄道部管轄の、京津線と、琵琶湖畔を走る、石山坂本線の総称となります。


茜堂-京阪京津線乗車券 茜堂-京阪京津線鋼索線乗車券

年月日不明、日付表示=日(左)、日付表示=月日(右)、京阪電気鉄道京津(けいしん)線、石山坂本線、鋼索線(右)。

左側の切符の錦織駅は、昭和16年2月1日に、近江神宮前駅に改称されましたが、
昭和23年1月8日に、再び、錦織駅に改称され、同年7月10日には、再度、近江神宮前駅に改称されました。
因って当券は、昭和23年7月9日迄に、発行された乗車券だと推測されます。

右側の切符には、山上(男山山上)駅が、表記されていますが、これはケーブルカーの駅で、
大正15年6月22日、男山索道の男山駅として、開業をしましたが、昭和19年2月11日に、戦時資材供出で廃止されます。
昭和30年12月30日、改めて、京阪電気鉄道鋼索線の、八幡宮駅として誕生します。

その後、昭和32年1月1日に、男山山上駅に改称されています。
因って当券は、昭和32年1月1日以降に、発行された乗車券だと推測されます。
切符画像は、他頁の切り抜き切符画像より拡大され、角判切符画像と同率となっています。


茜堂-京都市電東福寺
茜堂-京都市電東福寺
茜堂-京都市電東福寺
茜堂-京都市電東福寺


4点とも東福寺付近、22系統烏丸車庫行き。
500ミリの望遠で、モッコリとした下を、手前から京阪電車と国鉄奈良線が走っています。



茜堂-京都市電烏丸車庫
茜堂-京都市電烏丸車庫

雨上がりの烏丸車庫にて。


茜堂-京都市電窓越し


セミ時雨の中、とっても暑かったので、失礼して、烏丸車庫近くの冷房ギンギンの喫茶店から。
振り向けば電車、こんな撮影が筆者は大好きです。


茜堂-京都市電平安神宮


東山の山並、平安神宮の森を後ろに疎水に架かる徳成橋にて、さよならのサイドボードが。
水中には、清流にのみ群生する梅花藻が、水の流れに身を任せ揺らいでいます。
水面の動きと、鮮やかな彩りで、8ミリ撮影も納めました。


茜堂-京都市電高瀬川

塩小路付近、高瀬川。


茜堂-京都市電と子供達

雨の太秦付近、可愛い目がレンズを覗いています。


茜堂-京都市電と左大文字

左大文字が、ふもとは金閣寺、衣笠校前付近。


茜堂-京都市電立て看板

悲しいお知らせ、東・西・北大路・九条通り他市電撤去工事のため迂回して下さい。
京都市建設局道路維持課


茜堂-京都市電と国電

東大路通り今熊野橋、下は東海道本線、国鉄113系とのツーショット。
何だか、昔の阪神春日野道駅跡地の様な、雰囲気です。


茜堂-京都市電京都タワー

京都タワー、河原町塩小路、京都駅行き6系統。



茜堂-京都市電夕暮れの京都タワー


夕暮れの京都タワー、河原町塩小路。
本日はお疲れ様でした。
もう一仕事ですか、お仕事が終わったらゆっくりと車庫でお休み下さい。

最終日と廃止日が、良く混同されがちですが、
最終日とは運行最後の日の事で、廃止日とは廃止された日の事ですので、運行最終日の翌日を表します。
つまり、車両の運行が無くなった最初の日が、廃止日となります。

尚、切符関係では一般的に最終日を、廃止日と捉える向きも有りますが、
茜堂の鐵路趣味HPでは、路線物と切符物を扱っていますので、廃止日の表現では、双方で一日のタイムラグが生じます。
それに伴い茜堂では、廃止最終日の表現を採択しています。
最終日と廃止日の見解に付いては、 茜堂-最終日と廃止日 を、ご覧下さいませ。

京都に居た5年間に撮り貯めた、市電関係のフィルムを整理してみたら、
光学式カラー8ミリフィルム、4×5、6×9、6×7、6×6、35等々、ポジやネガ多種多様、
35のモノクロに関しては、実に41本も納めていました。




撮影地の名称は必ずしも、駅名を表すものでは有りません。
掲載写真は、茜堂による原盤ネガからの画像の為、無断複写は禁じております。

上記記述に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。
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