廃線幸袋線の散策と切符/茜堂

途中下車、幸袋線の廃線跡を行く=茜堂

茜堂の沿線、福北ゆたか線(博多〜桂川〜折尾〜黒崎)小竹駅での、途中下車有難うございます。

幸袋線、かつて小竹駅から分岐し、二瀬駅迄 (貨物支線=二瀬駅〜枝国貨物駅)を、結んでいた鉄道路線です。
幸せの袋、そのイメージとは大きく掛け離れ、昭和43年8月に、国鉄諮問委員会に基づく、赤字83線に選定され、
廃止第1号として、昭和44年12月8日に、小竹駅〜二瀬駅間、及び貨物支線の、幸袋駅〜伊岐須貨物駅間が、廃止されました。
   

幸袋線は元々が貨物線で、ついでに乗客も対象とすべく、旅客線に転じている為、然程、集客に対しては期待出来ませんでした。
乗客の利便性も、直方方面へ向かう場合は、便利で有ったが、飯塚市内や以南に向かう場合は、大きく遠回りであった。
昭和44年12月6日、日本国有鉄道公示第376号(運輸営業の廃止の件)、昭和44年12月8日、廃線。
   

実は、この赤字83線ですが、各地で反対運動が盛り上がり、昭和47年迄には、僅か11路線(116.0Km)しか廃止されず、
また、この他に赤字83線に含まれていなかった、4路線(19.0Km)も廃止され、都合15路線(135Km)が、廃止されています。
含まれずに廃止となった、その不幸な4路線は、胆振線、五日市線(一部)、吾妻線(一部)、函館本線(南美唄支線)。
   

然し乍ら、この間も、日本鉄道建設公団(鉄建公団)に因る、ローカル線建設は無秩序に続行され、
廃止の一方で、新たなローカル線を生み、これらの新線が、更に赤字を生み出すと言う、矛盾を生じさせていました。
結果的には、先の廃止15路線との、赤字差額を差引と、残念乍その廃止効果は、ほぼゼロとなっています。

   

茜堂-幸袋線路線図

起点となる小竹駅は、駅舎が遠賀川寄りに有って、相対式ホームの、2面2線と切欠き1線に、4番ホームに隣接する留置1線と、
貨物通過1線、別途留置6線で構成され、幸袋線は、上り線ホーム側の、切欠き3番ホームが、割当てられていました。
現在の小竹駅は、電化に合わせ、平成13年10月6日に、駅舎が橋上化され、1面2線の島式ホームに、変更されています。
   

小竹駅から2Km程の区間、幸袋線は筑豊本線と並走し、今でも一部を除き、その廃線線路や、橋梁跡が綺麗に残っています。
橋梁跡から、目尾方直ぐの線路は、既に撤去されていますが、学校下踏切前後から、新堤踏切前後迄は、当時の線路が残されています。
また、炭坑用の貨物線として始まった幸袋線、その為、炭坑の要所を、なるべく直線で結んでいるのが、良く分かります。
   


茜堂-幸袋線橋梁跡

新多口踏切、若松起点31.899Km地点、橋梁跡、目尾方、平成24年10月19日、撮影。

小竹駅から、目尾方へ少し行くと、筑豊本線の直ぐ横に、且つての幸袋線の遺構が、今でも残されています。
写真1)は、新多口踏切(31.899Km地点)に有る橋梁跡で、コンクリート製の橋台(アバット)と、鋼鉄製の桁がそのまま残されています。
ここから少し目尾方へ進むと、筑豊本線の右横に並ぶ様に、線路跡と踏切跡が、不完全乍ら残されています
   

茜堂-幸袋線踏切跡 茜堂-幸袋線目尾駅跡

新堤踏切、踏切と線路跡、若松起点32.627Km地点、小竹方、平成24年10月19日、撮影。
目尾駅跡、小竹起点2.2Km地点、小竹方、平成29年6月10日、撮影。

写真2)は、新堤踏切(32.627Km地点)の踏切線路跡、フランジが通る部分は、アスファルトで埋められています。
この手前の、学校下踏切(32.144Km地点)にも、線路跡が見受けられますが、踏切部分は全面、アスファルトで埋められています。
当時の、この並走区間は、今と同じ筑豊本線が複線でしたので、実に3本もの線路が、並んでいました。
   

この並走区間から、目尾駅跡迄は一部を除き、線路が残っていますが、写真3)目尾駅跡付近は、草に覆われその姿は見えません。
目尾駅構内西側の、古河鉱業目尾炭鉱選炭ヤードから、小竹駅迄の区間は、廃線後も地権の関係で、暫時、運炭線として残されていました。
因みに、古河鉱業目尾炭鉱は、幸袋線廃線の1ヶ月程前の、昭和44年11月1日に、閉山されています。
   

目尾駅は、明治36年11月28日、九州鉄道が目尾分岐点〜目尾駅間を、貨物線として開業し、目尾駅は貨物駅として開業します。
明治40年7月1日、鉄道国有法に因って、国に買収され、官営鉄道の駅となります。
大正9年4月11日、目尾駅を本線上に移設、目尾分岐点〜旧駅間の貨物支線を、目尾駅構内に併合し、旅客駅となります。
   


茜堂-幸袋線航空写真

目尾駅構内北側の、古河鉱業目尾炭鉱積出ヤードと、その先には、専用線の選炭ポケットヤードと、二軸車貨物と思しき車両列が停車。
国鉄構内の、貨物車列と比べて、小さい様に見えますが、影の加減に因る物で、同じ車両です。(昭和44年撮影)
以上の航空写真画像は、正規に入手した物(国土地理院オーダー番号E-7F19-012)であり、複写や転載はご遠慮願います。
   


茜堂-幸袋線サミット 茜堂-幸袋線境界杭

目尾サミット地点、頂上カーブ、幸袋方、平成29年6月2日、撮影。
国鉄用地杭、平成29年6月10日、撮影。

写真4)筑豊本線との並
線、目尾駅迄を除き、幸袋線でのサミットとなる、目尾勝負谷(坂)の頂上カーブ。
貨物線から出場した、ホキ、セキ満載の貨物を牽引し、この最大勾配のカーブを頂上まで力行し、大迫力で本線へ向かう。

写真5)勾配の中程に、紫陽花に隠れる様に佇む、赤頭堀「十字」と「工」の掘文字の国鉄の用地杭。
   
用地杭は、用地界標と言い、鉄道用地の境界線上20m毎に、打設される杭の事で、頭に「十字」が掘られ、側面に「工」が掘られています。
頭頂部の「十字」と、側面の鉄道事業者を表す「工」のマークは、目立つ様に周囲を、赤でペイントされています。
この「工」のマークは、レールのシンボライズ風ですが、実は旧鉄道省工務局建築課の、工務局の頭文字の工から来ています。
   
この用地杭から、幸袋方へ数10m移動した、側溝の暗渠部側壁に、15cm程飛び出た、一本の朽ちたPC角柱が使われ、
その頭が、赤くペイントされている。残念乍、潰れた頭頂部と1面しか見えず、工の彫り文字は確認出来ないが、恐らく感は否めません。
紫陽花の杭の、お宅のご主人様が、見つけて下さいました。以下の情報も、ご主人様からです。
   

生活用の小道が、左右から線路に近付き、5)用地杭の部分では100m程、列車が通過する線路横の、国鉄敷地内を通っていた様で、
現在の市道と、歩道が整備される迄には、廃線後から、4〜5年程掛かったそうです。
   


茜堂-幸袋線高雄分岐点跡

高雄分岐点、小竹起点4.6Km地点、庄司貨物支線、幸袋方、平成29年7月16日、撮影。

写真6)明治42年1月1日、目尾駅〜幸袋駅間に、高雄分岐点が設けら、高雄駅迄を庄司貨物線として開業します。

終点の高雄駅は、地形的に先方には、大きな上り勾配が有る為、恐らく、中公園辺りであったと、思われます。
昭和20年6月10日に、
庄司貨物線を幸袋駅構内に併合し、同貨物線を廃止、庄司駅、高雄駅の各駅貨物は、幸袋駅扱いとなります。
   

茜堂-幸袋線幸袋駅跡 茜堂-幸袋線境界杭

幸袋駅跡、小竹起点4.9Km地点、新二瀬方、平成29年6月10日、撮影。
旧幸袋駅構内、国鉄用地杭、平成29年7月16日、撮影。

写真7)幸袋駅は、明治27年12月28日、若松駅〜臼井駅間を結ぶ、筑豊鉄道の駅として開業します。
その後、明治30年10月1日に、九州鉄道に合併されます。明治34年3月31日、幸袋駅〜幸袋炭鉱間の、貨物支線が廃止されます。
明治40年7月1日、鉄道国有法に因って、国に買収され、官営鉄道の駅となります。
   

写真8)幸袋駅構内跡には、尖り屋根の国鉄用地杭が、残されています。周辺にも数本の用地杭が、確認出来ます。
この
尖り屋根の特殊な用地杭は、用地引照標と言い、地形の関係で用地界標が、定位置に打設出来ない時に、代わって設置される杭です。
ここでは、境界線に側溝が有る為、用地界標が設置出来ず、代わりに、用地引照標が置かれています。
   

茜堂-幸袋線航空写真

幸袋駅構内には、国鉄のセキや、ホキ貨物車列が点在し、東側には、ホームと駅舎が、写されています。
北側には、幸袋炭坑への庄司貨物支線の分岐点、高雄分岐点跡が、写されています。(昭和44年撮影)

以上の航空写真画像は、正規に入手した物(国土地理院オーダー番号E-7F19-012)であり、複写や転載はご遠慮願います。
   


茜堂-幸袋線川津信号所跡 茜堂-幸袋線新二瀬駅跡

旧川津信号所付近、小竹起点6.5Km地点、伊岐須貨物支線分岐点、新二瀬方、平成29年7月16日、撮影。
新二瀬駅跡、小竹起点6.9Km地点、幸袋方、平成29年7月16日、撮影。

写真9)川津信号所は、新二瀬駅より幸袋方に、0.4Kmの位置に有り、大正2年11月15日、幸袋線へと線名改称に伴い、
伊岐須分岐点を、川津聯絡所へと改称。更に、大正11年4月1日には、川津聯絡所を、川津信号場に改めます。
線路跡が、道路に残るだけで、目立った遺構は、一切残されていません。
   
信号所は、運転扱いの設備を持つが、乗客の乗降や、貨物の荷役を行わない停車場で有る「信号場」とは違い、
国有鉄道建設規程に因り、停車場では無いが、手動、或は、半自動の常備信号機を扱う為に、設けられた設備を言います。
線名が異なる、分岐点以外に設けられる場合は、駅間の長い単線区間で、途中に、離合の為の線路が、必要な場所に設置されます。
   
写真10)昭和34年11月27日公示、日本国有鉄道公示第438号(幸袋線幸袋、二瀬間に新二瀬停車場を設置して旅客の取扱を開始する件)、
昭和34年12月1日実施で、開業します。然し、開業より、僅か10年で路線廃止に因り、廃止を迎える事となります。
新二瀬駅の開業は、住民の要望と言うよりは、国道201号との交差に因る、不満対策と言った所が、主で有った様に思われます。
   

茜堂-幸袋線航空写真

旧川津信号所から、延びる伊岐須貨物支線と、終点の伊岐須貨物駅及び、日鉄二瀬鉱業所高雄坑の、選炭ポケットヤードが写っています
新二瀬駅は、国道201号と交差する直下に有り、駅舎とホームは線路の西側に、設けられています。(昭和44年撮影)

以上の航空写真画像は、正規に入手した物(国土地理院オーダー番号E-7F19-012)であり、複写や転載はご遠慮願います。
   


茜堂-幸袋線境界杭 茜堂-幸袋線枕木

旧二瀬駅構内、国鉄用地杭、平成29年6月21日、撮影。
二瀬駅跡、小竹起点7.6Km地点、枕木、終点方、平成29年6月10日、撮影。

写真11)道路の駅舎跡向かいに有る、道路の一車斜線程、膨らんだ部分も当時の駅構内で、
その膨らんだ部分と、道路に対して並行上に有るのが、この南横田公民館敷地内の、用地杭です。
   
写真12)二瀬駅ホーム跡の、北辺に立てられている10数本の枕木には、保線作業用の注意喚起マークが、白ペンキで記されています。
黒地に白文字で「031.01.001 並マクラキ 380本」等も記され、こちらは保線区での管理用の、ペイントだと思われます。
並まくらぎは、一般線区に使われる枕木で、厚さ140mm、幅200mm、長さ2,100mmと、定義されています。
   

茜堂-幸袋線二瀬駅ホーム跡 茜堂-幸袋線二瀬駅ホーム跡

二瀬駅1番ホーム跡、小竹起点7.6Km地点、終点方、平成29年6月10日、撮影。
二瀬駅1番ホーム跡、小竹起点7.6Km地点、新二瀬方、平成29年6月10日、撮影。

写真13)-写真14)奇跡的に残されている、二瀬駅の旅客1番ホームの、側壁(枕木側補修)
の一部です。
二瀬駅は、旅客ホーム1面1線と、機回し線、貨物支線を、持つ地上駅で、現在の横田交差点の、直ぐ北部に位置していました。
幸袋線の列車は、昭和32年2月1日に蒸気(SL)牽引から、気動車(DC)化され、従来の機回し線は、使われなくなりました。
   
明治32年12月26日、官営鉄道により、幸袋駅から貨物線を延伸する目的で、潤野貨物駅として開業しています。
明治42年1月1日、更に、国鉄貨物線が、枝国貨物駅(
日鉄二瀬炭鉱中央坑)迄、延伸されます
   

大正2年11月25日に、幸袋駅〜潤野貨物駅間を、旅客路線に変更し、潤野貨物駅を二瀬駅に改称、旅客営業を開始します
枝国貨物駅へは、
二瀬駅構内の直ぐ北側で、貨物線として分岐していました。
更に、
枝国貨物駅から先には、日鉄二瀬炭鉱南端(潤野小正坑)迄の専用(運炭)線が、敷設されていました。
   

茜堂-幸袋線航空写真

飯塚市内に近付き、民家も増えていますが、飯塚市内への鉄道の便は、利便性に可成り欠けています。
南側に分岐している、枝国貨物支線は、撮影された4年前の、
昭和40年10月1日に、既に廃止されています。(昭和44年撮影)
以上の航空写真画像は、正規に入手した物(国土地理院オーダー番号E-7F19-012)であり、複写や転載はご遠慮願います。
   


茜堂-幸袋線枝国貨物支線分岐点 茜堂-幸袋線境界杭

二瀬駅構内、枝国貨物支線分岐点、枝国方、平成29年7月16日、撮影。
枝国貨物支線、国鉄境界杭、平成29年6月21日、撮影。

写真15)日鉄二瀬鉱業所本部中央坑の有る、枝国貨物駅迄の貨物支線で、二瀬駅起点で終着の枝国貨物駅迄、0.6Km。
廃線跡は、幸袋線同様、市道化されていて、枝国貨物駅の大規模な選炭ヤードや、側線等の、痕跡は一切無く、
日鉄二瀬鉱業所本部は、
大型商業施設、イオン穂波ショッピングセンターとなっています。
   
写真16)この地点から、線路は数本に分岐され、そのまま跨道橋を潜ると、枝国貨物駅が見えて来ます。
跡地に建つ、
イオン穂波ショッピングセンターの、駐車場東出入口向かいに、日鉄二瀬鉱業所本部中央坑正門跡の、記念碑が有ります。
更に、枝国貨物駅からは専用線が、若菜まで延伸され、選炭ヤード跡がJAに、潤野小正坑跡は、若菜小学校になっています。
   
枝国貨物支線は、二瀬駅廃止の4年程前に、既に廃止されています。
昭和40年9月29日公示、日本国有鉄道公示第570号「貨物運輸営業の廃止の件」にて、昭和40年10月1日廃止。
   

茜堂-幸袋線航空写真

こちらの航空写真には、廃止2年前の枝国貨物支線や、枝国貨物駅、選炭ポケットヤードと、積炭用のホッパー等が写されています。
枝国貨物駅の東側一帯が、日鉄二瀬鉱業所本部で、更に東側が、日鉄二瀬鉱業所本部中央坑となります。
更に、南側には
日鉄二瀬炭鉱南端迄の専用(運炭)線が、西側にカーブし乍ら延伸されています。(昭和38年撮影)
   
枝国貨物駅を中心として、同じ様な屋根の並びで、建っているのが炭坑住宅で、炭坑労働者用の住宅となっています。
以上の航空写真画像は、正規に入手した物(国土地理院オーダー番号E-7F19-012)であり、複写や転載はご遠慮願います。



幸袋線の廃線入場券と乗車券=茜堂

幸袋線は元々が貨物線で、ついでに乗客も対象とすべく、旅客線に転じている為、然程、集客に対しては期待出来ず、
昭和43年8月の、国鉄諮問委員会に基づく、赤字83線に選定され、廃止第1号とされた事等を踏まえると、
各駅での絶対
乗客数は少なく、その結果として、入場券はおろか乗車券でさえ、その存在数は期待出来ません。
   
少ない切符資料ですが、新二瀬駅を除く各駅発行の硬券を、以下に掲載させて頂きます。

茜堂-小竹駅の乗車券
茜堂-乗車券(小竹〜二瀬)

昭和35年6月5日、一般式片道乗車券、小竹〜二瀬、20円、3等、国鉄、JNR赤地紋。

幸袋線の二瀬駅は、旅客駅としての終着駅でしたが、昭和44年12月8日(営業最終日=7日)の廃線に伴い、廃止されました。
貨物線としては、先に有る枝国貨物駅迄ですが、更に、南側の日鉄二瀬炭坑迄、専用線として線路は繋がっていました。

   
尚、旅客終着駅、二瀬駅より伸びていた、貨物支線(二瀬駅〜枝国貨物駅)は、既に、昭和40年10月1日に廃止されています。
枝国貨物駅と、
日鉄二瀬鉱業所本部跡は、地番が枝国長浦666-48の、大型商業施設、イオン穂波ショッピングセンターとなっています。
小竹駅から、終着二瀬駅跡迄は、線路距離では僅か7.6Km、歩き乍らの散策も、楽しいかも知れません。

茜堂-目尾駅の乗車券
茜堂-乗車券(目尾〜幸袋.小竹)

昭和44年12月7日、矢印式乗車券(最終日券)、目尾〜幸袋、小竹、30円、幸袋駅発行、国鉄、JNR青地紋。

目尾駅は、本線上に1面1線の旅客ホームと、小竹方から分岐する、貨物線(ヤード)を、複数本有する地上駅でした。
九州随一の難読地名、目尾(しゃかのお)は、律令官制の地方四等官位の官名、目(さかん)が、
住む屋敷が有った、丘陵地帯を意味する、尾(お)に由来する「目(さかん)の尾(お)」が、転じた地名だと言われています。
   
両矢印式の様式券は、上り、下りの乗車券を、1枚の切符で活用出来る優れ物です。

茜堂-幸袋駅の乗車券
茜堂-乗車券(幸袋〜新二瀬.二瀬.目尾.小竹)

昭和44年12月7日、矢印式乗車券(最終日券)、幸袋〜新二瀬駅.二瀬、目尾.小竹、30円、幸袋駅発行、国鉄、JNR青地紋。

縁起の良い地名、幸袋(こうぶくろ)は、この地を流れる、遠賀川の蛇行で袋状の入江から、河袋(こうぶくろ)と言われ、
それが転じて、幸袋(こうぶくろ)となったと言う説や、天保9年(1838年)、当地を含む五ヶ村用水路が完成し、
米の収穫が飛躍的に上がり、幸が訪れた事から、幸袋(こうぶくろ)に、転じたと言う説も有ります。
   
両矢印式の券面には、幸袋線の全ての駅名(小竹駅、目尾駅、幸袋駅、新二瀬駅、二瀬駅)が、記されています。
   

茜堂-幸袋乗車票(小竹〜二瀬)表 茜堂-幸袋乗車票(小竹〜二瀬)裏0001

昭和44年12月7日、お別れ列車乗車票(最終日1番券)、相互式、小竹〜二瀬駅、幸袋駅発行、券番0001、国鉄、JNR青地紋。

幸袋線の由来駅名、幸袋駅発行の、お別れ乗車票の1番券(券番0001)です。
幸袋駅は、本線上に1面1線の旅客ホームと、目尾方から分岐する、貨物線(ヤード)を、複数本有する地上駅でした。
   
当券は、どちらかの駅から、片道の無料乗車が出来る乗車票です。一見、両方向に向けた矢印から、
往復券の様ですが、これは相互式の片道券で、当様式で往復乗車の場合には、往復が可能な旨の文言が必要です。
矢印だけで、往復を表すには、双方向に向けた矢印が、上下に1本ずつ(計2本)必要となります。
   
また、相互式券を2枚で、往復券への代用が可能で、その場合の入鋏位置は、
旅客営業基準規程第246条第1号で、着駅と反対側(発駅)の、駅名の下に入れる事が、定められています。

茜堂-二瀬駅の入場券
茜堂-赤線入場券二瀬駅10円A券(表) 茜堂-赤線入場券二瀬駅10円A券(裏)

昭和35年6月5日、赤線入場券、二瀬駅、10円、二瀬駅発行(残番チェック折れ)、門司印刷場A型3期券、国鉄。

二瀬駅は、本線上に1面1線の旅客ホームと、新二瀬方から分岐する、貨物線(ヤード)を、複数本有する地上駅でした。
明治32年12月26日、官営鉄道に因って、幸袋駅から貨物線延伸での、貨物駅時代は潤野駅の名称でしたが、
大正2年11月25日、旅客営業の開始時に、二瀬駅に改称されています。
   
終点の地、二瀬(ふたせ)の、地名の由来は、建花寺川と遠賀川が落ち合う、二つの瀬(ふたつのせ)の間に、
出来た平野部分から、二瀬(ふたせ)になったと、言われています。現在、町村合併で飯塚市となり、二瀬の地名は消滅しています。
   
駅の窓口では、主に夜間一日一回「締め切り」と言う、売上集計を行います。
その際、券種別に、硬券差(ホルダー)に収められた切符の、残番号をチェックし、2号券簿に記載します。
前日の残番号とを比較し、当日の売上枚数を算出し、その作業終了時の証として、券番に赤鉛筆等でチェックを入れます。
   
翌日に、集計をする場合、赤鉛筆のチェックが、入っている切符は、売れ残った切符と分かり、集計時の利便性を図ります。
更に、丸一日経っても、売れない切符の裏には、2本目のチェックが、入る事になります。
つまり、裏面券番に赤鉛筆等の、チェックが入っている切符は、売上を締めた後の、最初の切符となります。
   
以上は、一般的な地域の場合ですが、九州地区では、少し事情が異なり、ホルダーを使わず、裏面への線描きでの、チェックは無く、
硬券箱に収められた切符の、売れなかった切符のみ、裏面の券番部分を、指で押さえて折り曲げていました。
九州地区の硬券では、たまに、裏面側から表面へ掛けて、折れが有る券が多いのは、その為です。
   
尚、当券は時代の証しとして、折れ曲げの修復は試みず、そのままの姿で、切符ファイルに収蔵しています。
また、最上段の、小竹駅発二瀬駅着の乗車券と、同じ年月日です。恐らく、二瀬駅の入場券入手の為の、入線だと思われます。
当時の盲腸線への入線、苦労の賜物が貴重な資料として、今日に残されています事、感謝申し上げます。



幸袋線営業廃止記念券=茜堂

鉄道友の会九州支部が、日本国有鉄道九州支社と、共催にて作成された、幸袋線の営業廃止記念券です。
記念券は、色
上質紙の特厚口を使用し、表面は組版凸版にて、赤、紺、黒の3色刷り、裏面は文選で、黒の活版刷りとなっています。
後年に於いて、九州地区での廃止記念券は、国鉄発行の緑地紋D型券で、登場する様になります。

茜堂-営業廃止記念券

昭和44年12月7日、幸袋線営業廃止記念券、表、裏、日本国有鉄道九州支社、鉄道友の会九州支部。

貨物牽引機9600に連なる、北部九州の産炭地で活躍した、石炭輸送の専用貨車、二軸車のセム、セラ。
各形式の最初の「セ」は、用途記号で石炭を表し、荷重屯数によって、重量記号が「ム、ラ、サ、キ」(紫)と続きます。
   
因に「ム」は、14屯〜17屯未満、「ラ」が、17屯〜19屯未満、「サ」が、20屯〜24屯未満、「キ」が、25屯以上となります。
重量記号の「ム」は、最初に作られた、荷重屯数15屯の馬(ムマ)輸送有蓋車(ワム)から、「ム」を採用したとされ、
続く記号を、国鉄の紋章である「動輪に桐」の、桐の花が「紫」で有る事から「ムラサキ」と語呂合わせをしたと、言われています。
   
貨物は、石炭積出港の若松駅構内の、船積専用高架桟橋へと向かい、貨物車両の底から、運搬船へ直接シュートし船積します。
北海道はボギー車を採択し、大陸形のアメリカ型で一両の積載量が多く、左右が開き、線路の両側に排出しますが、
北部九州は二軸車を採択し、狭地形のドイツ型で半分位の積載量で、底が開き、線路の中側に排出します。地形に因る採択となります。
   
石炭輸送が終息すると、セメントの石灰石輸送に変わり、北部九州では、北海道の余剰ボギー車セキ6000、8000形を、そのまま転用し、
また、北九州で余剰となった、二軸車の一部は、底に蓋をする等の改造を受け、セメントの石灰石輸送に、転用されます。
最後の石炭車は、ボギー車セキ6000、8000形のみで、JR美祢線で石灰石輸送(平成21年10月19日廃止)に、使用されていました。
   
趣きの有る記念券ですが、惜しむらくは裏面の沿革で、全線廃止が12月7日となっていますが、7日は旅客営業をしています。
残念乍ら、7日は廃止日では無く、あくまで業務最終日で有って、正しくは「全線廃止」は、12月8日となります。
最終日に拘り、最終日に廃止の文言を入れる場合は「12月7日を以て全線廃止」と、表現致します。



幸袋線と枝線の歴史=茜堂

幸袋線は、点在する産炭地から若松港迄の、石炭輸送を目的に敷設された、貨物路線で有った事から、
貨物専用線、転換旅客線、延伸路線、更に、幸袋線(本線)や、枝分かれした貨物支線等を含み、その歴史は複雑となっています。
また、一部の貨物引込み線等の、詳細が不明な部分も有りますが、判明次第、追加補足して行く所存です

   
官営鉄道の歴史と、私営鉄道の引込線を含めた、鉄道の歴史を綴っています。
   

明治27年12月28日筑豊鉄道が、小竹駅〜幸袋駅間、及び、幸袋駅〜幸袋炭坑駅間の貨物支線を開業し、幸袋駅、幸袋炭坑駅の開業。
明治30年10月1日#筑豊鉄道が、九州鉄道に合併される。
明治31年4月8日##幸袋駅構内で、混合列車の貨物入換中のSL、筑豊鉄道13のボイラー破裂事故が発生し、死傷者7名、民家3軒が破損。
明治32年12月26日幸袋駅〜潤野駅間、伊岐須分岐点〜伊岐須駅間の貨物支線を開業し、潤野駅、伊岐須駅の開業。
明治34年3月31日#幸袋駅〜幸袋炭坑駅間の貨物支線を廃止し、幸袋炭坑駅の廃止。
明治36年11月28日目尾分岐点〜目尾駅間の貨物支線を開業し、目尾駅を新設。
明治40年7月1日##鉄道国有法(明治39年3月31日公布、法律第17号)に因り、九州鉄道を買収し、官営鉄道となる。
明治41年3月28日#幸袋駅〜潤野駅間の貨物支線を延伸開業し、潤野駅貨物駅を開業。
明治42年1月1日
##高雄分岐点〜高雄駅間、潤野駅〜枝国駅間の各貨物支線を開業
     
######庄司駅、高雄駅、枝国駅を、貨物駅として開業。枝国駅〜日鉄二瀬炭鉱間の、運炭専用線開業。
明治42年10月12日
国有鉄道線路名称制定に因り、小竹駅〜幸袋駅間、貨物支線(目尾分岐点〜目尾駅間、
     
######高雄分岐点〜高雄駅間、潤野駅〜枝国駅間)を幸袋線とする。
大正2年11月25#潤野貨物駅を二瀬駅に改称、伊岐須分岐点を川津聯絡所に改め、幸袋駅〜二瀬駅間で旅客営業を開始。
     
######旅客輸送として、工藤式蒸気動車(SLと客車が合体した様な車両)の運転開始。
大正9年4月11日##目尾分岐点〜目尾駅間の貨物支線を廃止し、目尾駅構内に併合、目尾駅を本線上に移設し、旅客営業開始。
大正11年4月1日
##川津聯絡(連絡)所を、川津信号場に改称(全国規模の名称変更)。
昭和5年4月1
###高雄分岐点〜高雄駅間、川津信号場〜伊岐須駅間の貨物支線の起点を、幸袋駅に変更し、
     
######同区間を、それぞれ幸袋駅〜高雄駅間、幸袋駅〜伊岐須駅間(幸袋駅〜川津信号場1.6 kmは本線と重複)とする。
昭和20年6月10#幸袋駅〜高雄駅間の貨物支線を、幸袋駅構内に併合、庄司駅、高雄駅の各貨物駅を廃止し、幸袋駅構内扱いとする。
昭和34年12月1
#幸袋駅〜二瀬駅間に、新二瀬駅を新設。
昭和37年  
####川津信号場を廃止。
昭和40年10月1
#二瀬駅〜枝国駅間の貨物支線を廃止し、枝国貨物駅を廃止。
昭和43年9
月 ###国鉄諮問委員会提出の意見書に因り、赤字83線に選定。
昭和44年12月8
#小竹駅〜二瀬駅間、貨物支線(幸袋駅〜伊岐須駅間)を廃止。廃止後は、貨物支線を含め、西日本鉄道が継承。
昭和63年4月3日
##西日本鉄道自動車事業本部から、嘉穂交通(現、西鉄バス筑豊)に分社化。




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