故郷神戸駅の歴史今昔/茜堂
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我が故郷神戸駅の写真で見る歴史=茜堂
茜堂-故郷神戸駅の切符-赤線入場券茜堂-神戸駅の歴史続編茜堂-鐵路趣味
茜堂-神戸駅概要今昔 汽笛一声新橋より二年後の、明治7年5月11日、大阪〜神戸間に、第二の鉄道が開業され、神戸駅が誕生します。
神戸駅から大阪駅までの全長は、32.7Kmで、神戸駅〜三ノ宮駅間は、複線で開業しました。
その事から神戸駅は、同率乍ら、日本で2番目に開業した駅となります。
   
明治22年7月1日には、新橋〜神戸間の官営鉄道が、全線開通します。実に片道20時間余りの長旅でした。
当時の、新橋駅〜神戸駅間は、長浜駅までの支線を除き、全長605.6Kmで、大正3年12月20日に、東京駅が誕生します。
東海道本線の終点が、大阪駅では無く神戸駅なのも、当時の終点を、現在に受継いでいるからなのです。
   
因に、現在の東海道本線は、隧道等の新設や路線の整備等で、支線を除く全長589.5Kmに短縮されています。
それでは、歴代の神戸駅舎の移り行きを、茜堂所蔵の明治期の鶏卵写真や、絵葉書等で紹介致します。
写真キャプション上の丸数字は、下段に有る地図にて、大凡の撮影位置を示しています。
   


茜堂-初代神戸駅東側 茜堂-起点たる神戸駅
茜堂-1

写真-1、初代神戸停車場(東側)、レンガと木造平屋駅舎、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

明治7年4月30日に、竣工(完成)した、初代の神戸停車場は、
現在の神戸駅から、少し東南寄りに位置し、駅舎は線路の海側に造られていました。
客車庫、客車修繕工場、仕上工場等のヤードは、駅舎山側に設けられています。
   
駅舎の設計は、英国人の設計による物で、レンガは貴重な輸入品で、
英国から運ばれたレンガは、一個づつ、丁寧に紙に包まれていたとの事です。
また、ビードロと呼ばれた、ガラスの窓も設けられ、当時では、最先端の建物でした。
   

茜堂-初代神戸駅西側
駅の西側から、上り方面を向いています。
駅前には、広場が設けられ、
立派な公園、庭園や、噴水も備えられていました。
茜堂-2

写真下-2、初代神戸停車場(西側)、レンガと木造平屋駅舎、茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

当時は、神戸ステーションの呼称の他に、兵庫ステーションや、川崎ステーションとも呼ばれていました。
構内には、鉄道寮(工部省鉄道寮神戸支寮)や、山側には駅長官舎が、海側には職工官舎、外国人官舎が建ち並んでいます。
火の見櫓等が設けられ、また、当時では珍しい噴水も、駅前に備えられています。
   
当時のホーム形式は、2面2線の相対式で、機回し線がその真中に、1本走っていた様です。
初代の駅長は、副島氏が努め、駅長の制服は、2列の金ボタンが並ぶ、英国製ラシャ地仕立ての、折襟マンテルと言う物で、
制帽は黒ラシャ地に金帯巻、前章は金属製で「丸に工」の浮彫りが、あしらわれていました。
   
その斬新な制服の、出立ちから、目新しく洒落たと言う意味を持つ「ハイカラさん」と、呼ばれていました。
ハイカラは、文明開化の明治時代に流行った言葉で、語源は「high color」では無く、高い丈の襟(high collar)から来ています。
   

茜堂-鉄道桟橋
茜堂-神戸鉄道桟橋
我国初めての、鉄道桟橋、
その姿は、記録写真としても、余り露出は無く、
非常に気宇な、存在となっています。
日本で初めての、鉄道桟橋は、
海と陸を結ぶ、重要な桟橋です。
高架の上には、貨物が見て取れます。
茜堂-3

写真-3、初代神戸停車場先の鉄道桟橋、有蓋車と無蓋車が写っています。茜堂管理者所蔵の鶏卵写真。

船からの、貨物積み降ろしの便を図る為に、神戸駅構内の海寄りに設置された、我国初めての鉄道桟橋。
鶏卵紙印画(アルビューメンプリント)は、100年以上も前に使われていた印画技法で、
鶏卵紙は、コロジオン湿板ネガを密着し、太陽光で焼付けした後、水洗と定着だけで、プリント出来る印画紙です。
   


茜堂-初代神戸駅
茜堂-4
茜堂-5

写真-4〜5、初代(明治7年4月30日)構内 、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(発行元不明絵葉書)。

右下の写真が、明治8年撮影の初代神戸停車場構内、外国人を含む鉄道員達が、無蓋車でポーズを取っています。
ホーム中程には、輝く大きな砂箱が特徴のSL、2号機関車(
2-4-0、後の120形)が、顔を覗かせています。
   
左上の写真は、明治45年撮影のニ代目神戸停車場構内、ホームには、ダブルルーフ(二重屋根)の荷物車が、停車しています。
中央には、客車を牽くSLが前進して来ます。形態から見て、神戸工場製の国産1号機の860形と思われます。
広大な構内の左側には、埠頭に向かって大きくカーブをする、数本の線路も写されています。
   

茜堂-神戸駅構内
茜堂-6

写真-6、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場構内(大正15年〜昭和元年度、神戸驛要覧、グラビア印刷)。

明治45年撮影のニ代目神戸停車場構内、ホームには、ダブルルーフ(二重屋根)の客車や荷物車が、停車しています。
手前には、車掌室が設けられた、無蓋車を牽引する、神戸工場製の国産1号機の860形が、煙を上げています。
本線4本、山陰発着線3本、東京線4本、裏線10本、機関庫線9本、中線10本、貨物線8本、奥には洗條線9本と壮大です。
   
神戸駅の最大規模の姿で、これ以降は拡大される事もなく、昭和3年5月1日には、神戸鉄道局は大阪へ移設され、
その後、諸々の設備は、昭和9年12月5日迄には、駅舎共々全廃される事となります。
   

茜堂-貨物上家
茜堂-神戸貨物上家
鉄道桟橋手前に、設置された、
ニ代目神戸駅時代の、貨物上家。
船に向かう全車両が、ここを通ります。
茜堂-7

写真-7、ニ代目駅舎時代の、神戸貨物上家のホーム横に停車する、荷客牽引の28650蒸気機関車(発行元栄屋印行)。

下記の写真とは同一アングルですが、撮影時間が異なり、人力車の車夫、ホーム上には制服姿に腕章の職員や、
機関車の前にも、制服姿に腕章の職員がいます。その傍らには荷物掛かりの方々等、結構な人影が写り込んでいます。
全ての掲載絵葉書は、切符対比で、85%の縮小となっています。
   

茜堂-神戸貨物上家
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写真-8、ニ代目駅舎時代の、神戸貨物上家のホーム横に停車する、荷客牽引の28650蒸気機関車(発行元不明)。

貨物上屋では、一般的な構造として、ホーム側の側面は開放型で、反対側の側面は壁になっていますが、
特殊な場合、前面にも壁が有り、荷物の搬入等の為に、壁の一部が開放されているか、扉になっているものも有ります。
お分かりのとおり、当駅では、ホーム側に堅牢な扉が設置されて、特に重用視されていた施設である事が、良く分かります。
   
場所は、ニ代目神戸駅舎の手前から、大きく海側にカーブをした、鉄道桟橋の手前に建てられていました。
画面の機関車は、大正8年に汽車会社で製造された、28650で、船車連絡の為に停車しています。
横のホームの建物は、神戸貨物上家で、壁には「たばこのむな NO SMOKING」の表示が、見て取れます。
   
場絵葉書の発行元は、上段が栄屋印工ですが、下段には、ハネ写真で版元が異なるのか、発行元が記されていません。
また、写真キャプションの括弧内では、上段が(神戸)に対して、下段では、少し変更をし(貿易の神戸)となっています。
   

茜堂-ニ代目駅舎
茜堂-二代目神戸駅(カラー)
二代目の駅舎は、今より北側に位置し、
明治22年3月7日に、開業した後、
昭和6年10月9日迄、営業。
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写真-9、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅西側)、駅舎は煉瓦造(手彩色、発行元不明絵葉書)。

二代目駅舎は北側に移り、開業と同時に、神戸鉄道局も新舎屋内に移設されました。写真は開業当初の姿を維持しています。
西側が良く分かる写真で、下の写真と比べて、まだ、1階と2階の窓には、日除けの幌が設置されていません。
また、西側には人力車の姿が無く、荷車が所狭しと置かれています。
   

茜堂-二代目神戸駅(カラー)
茜堂-10

写真-10、二代目(明治22年3月7日)神戸驛(西側)、駅舎は煉瓦造(手彩色、発行元不明絵葉書)。

駅前の道幅も狭く、路面電車(神戸電気鉄道、後の神戸市電)の線路が、まだ敷かれていません。
神戸電気鉄道に、内務省から敷設特許が交付されたのが、明治39年11月の事(開業は明治43年4月5日)ですから、
明治後期頃の神戸駅で有る事が、分かります。以下、1階屋根下に、ひさしと小窓が増設されています。
   

茜堂-二代目神戸駅(カラー)
茜堂-11

写真-11、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅東側)、駅舎は煉瓦造(手彩色、発行元不明絵葉書)。

珍しい東側からの写真で、数多くの人力車と車夫が映っています。電信柱がかなり傾いているのが分かります。
写真の11番以降は、電柱が綺麗に建てられています。表に有る切手の消印は、KOBE、25.5.07(明治25年)となっています。
一階の屋根の下側にひさしが追加され、屋根とひさしの間に、明り取り用の側面小窓が設けられています。
   

茜堂-人力乗車券
茜堂-神戸駅前人力乗車券(表) 茜堂-神戸駅前人力乗車券(裏)
人力車は、鉄道駅からの、
重要で便利な移動手段。
数多くの駅前で、営業していました。

人力乗車券(10.8×7.8センチ)、軟券、表、裏、明治期、乗車区間は、神戸駅前ヨリ朱印ノ場所迄、奥平野に赤印。

人力乗車券、神戸駅前〜奥平野、金十二銭、軟券、神戸駅前人力車乗車券発売所発行。
裏面には、車夫の不正行為等が有った場合には、人力車の登録番号を通知請う旨の、注意書きが記されています。
行き先地の奥平野は、現在の兵庫区楠谷町辺りで、神戸駅からは、上り坂で大凡2キロの道程。

   
人力車の発明者は、1848年頃に米国の鍛冶職人アルバート・トルマンにより、
宣教師の乗り物として、ウースターで作られたという説や、1869年頃に、来日米国人宣教師ジョナサン・ゴーブルが、
病弱の妻の為に考案して、横浜で使っていたと言う説も有りますが、
   
記録上では、日本の和泉要助、高山幸助、鈴木徳次郎の、3名が発明者として、明治政府から認定されています。
明治3年、政府は駅からの交通手段として、この3名に「人力車総行司」の許可を与えています。
   
これが、運転免許証制度が始まりとなりますが、開業するには同人からの許可制としたが、全国的に人力車が広がった為に、
管理が行き届かなくり、有名無実な制度となってしまいました。
   

茜堂-下水道整備
茜堂-二代目神戸駅(カラー)
神戸駅前の、下水道整備工事、
神戸市では、西洋式下水道として、
明治5年に、煉瓦造りで誕生。
茜堂-12

写真-12、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅西側)、駅舎は煉瓦造(手彩色、発行元不明絵葉書)。

駅前の下水道管の補修工事を、行っています。神戸市の下水道は、明治5年に西洋式下水道として、煉瓦造りで誕生しました。
日本の下水道普及率は、現在で大凡7割半と、かなりの水準を達成していますが、 先進国としては低い値で、
地域格差が非常に大きく、神戸等の主要都市では、早年に整備が進んでいますが、地方では、手付かずなのが現状です。
   

茜堂-二代目神戸駅
茜堂-13

写真-13、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅東側)、駅舎は煉瓦造(発行元不明絵葉書)。

比較的
珍しい、東側からの写真です。2階に「みかど食堂」、下には手前から、駅員詰所と「みかど」が有りました。
また、東側の棟には、貴顕を迎える為の貴賓室や、一二等待合室、三等待合室等が、備えられています。
   
みかど食堂は、明治時代から近畿地区で、駅構内で食堂経営をする老舗で、日本初の駅構内食堂を開いた企業で、
明治30年に神戸駅近くに、自由亭ホテル(ミカドホテル)を開業し、山陽鉄道急行の食堂車営業を手掛けました。
近年の駅食堂と言う、ニーズの変化に順応出来ずに、残念乍ら、平成24年に、みかど株式会社は整理されています。
   
一時は、花形特急列車の食堂車や、2代目門司駅、関西、名古屋、東京、函館地区等、広範囲に食の提供を行っていました。
尚、神戸駅構内食堂の、みかど食堂(みかど)は、平成15年11月29日に、閉店をしています。
   

茜堂-二代目神戸駅
茜堂-14

写真-14、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅西側)、駅舎は煉瓦造(発行元不明絵葉書)。

日除け用の可動式テント、オーニングが2階に設置されています。2階西側には手前から、電話交換室、車掌室が有りました。
荷物の輸送に使われていた、総木製の人力荷車(大八車)が行き交い、荷待ちの大八車が、並べられています。
鉄道駅が、当時の物流の拠点であった事が、伺えます。
   
大八車が置かれている辺りは、平屋建ての駅長室で、小荷物室は、駅長室と正面口の間の1階に置かれていました。
小荷物取扱いは、正面口に窓口を設け、入口寄りに受注引渡が、ホーム寄りに一時預かりが置かれていました。
   

茜堂-二代目神戸駅(カラー)
茜堂-15

写真-15、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅西側)、駅舎は煉瓦造(手彩色、発行元不明絵葉書)。

日除け用の可動式テント、オーニングの使用時の形態が、良く分かります。
一階の屋根と、その下側に有るひさしとの間に設けられた、明り取り用の側面小窓の造りが、良く分かります。
明り取り用の側面小窓と、屋根とひさしとの移り変り等が、写真-18と対比出来る西側からの写真です。
   

茜堂-路面電車
茜堂-二代目神戸駅
神戸の路面電車は、
春日野道〜兵庫駅前間を、結び、
明治43年4月5日に、開業。
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写真-16、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅東側)、駅舎は煉瓦造(神戸栄屋商店発行)。

駅前が整備中で、道幅も拡張されていて、ダブルルーフ、ダブルポールの路面電車が、写っています。
明治43年4月5日に、神戸電気鉄道が、神戸(春日野道)〜兵庫(兵庫駅前)の両市街地を結ぶ、路面電車として開業。
駅舎にはまだ、明り取り用の側面小窓が有る事から、神戸電気鉄道開業当初の物だと、思われます。
   

茜堂-二代目神戸駅
茜堂-17

写真-17、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅西側)、駅舎は煉瓦造(神戸栄屋商店発行)。

上の写真の反対側の西側から望む、神戸駅舎と、兵庫(兵庫駅前)方面へ行く、神戸電気鉄道が、写っています。
駅前の整備が整い、上の写真では下水管修理の為か、掘削されていた道路も、綺麗に整えられています。
時代的には、上の写真とほぼ同時代で、神戸電気鉄道開業当初の物だと、思われます。
   

茜堂-二代目神戸駅
茜堂-18

写真-18、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅西側)=北口(発行元不明絵葉書)。

手前の一階屋根は、送迎場の利便性から、ひさしとして延長され、更に、孫びさしが、道路側へと延伸されています。
それに伴い、特徴的であった、屋根下側面の明り取り用の小窓は、姿を消しています。
明治43年製の、市電の前身の神戸電気鉄道のA車で、兵庫方面の正面向きで、ダブルポールが下がっています。

   

茜堂-二代目神戸駅
茜堂-19

写真-19、二代目(明治22年3月7日)神戸停車場(駅西側)=北口(神戸本庄写真部発行絵葉書)。

二階の窓には、下の20の画像に有る様な、日除け用の可動式テント、オーニングが、外されています。
画面左手には、出発前の860形だと思われる、蒸機の煙りが上がっています。
手前は、明治43年4月5日開業の神戸電気鉄道、大正6年8月1日に、神戸市電気局(後の神戸市交通局)となります。

   

茜堂-二代目神戸駅
茜堂-20

写真-20、初代(明治7年4月30日)神戸驛(駅西側)、二代目(明治22年3月7日)煉瓦造りの神戸驛(織田写真館発行)。

初代の神戸停車場(右小枠、明治8年頃)は、南側に位置し煉瓦造りと木造を組合わせた、平屋の駅舎として始まります。
当時は、神戸ステーションや、大ステーションとも、呼ばれていました。駅前には、人力車から輪タクへと変わっています。

絵葉書キャプションの「明治二十二年頃ノ神戸驛」は、路面に線路が有る事から、明らかに間違いです。
   


茜堂-二代目神戸駅
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写真-21、二代目(明治22年3月7日)煉瓦造りの神戸驛(駅西側)=北口(栄屋印行発行絵葉書)。

こちらの画像には、右手前二階に施設が増築されています。増設された二階には、車掌室が移設されました。
尚、上記の驛と停車場のそれぞれの表現は、絵葉書のキャプションによる物です。
この絵葉書は、焼付け写真の様で、印刷には見えませんが、コロタイプ印刷と言う手法で、印刷された絵葉書です。
   
写真製版の網点(ドット)を使った、オフセット印刷とは異なり、写真製版に網点を使わず、ゼラチンのシワを利用するので、
写真の微妙な調子を再現するのに、最適の印刷手法とされています。但、版が軟弱な為、多量印刷には向いていません。
又、写真分解に因る、網点での掛合わせが困難な為、多色刷りには不向きで、単色印刷のみとなります。
   

茜堂-二代目神戸駅
茜堂-22

写真-22、二代目(明治22年3月7日)煉瓦造りの神戸驛(駅西側)=北口(大正15年〜昭和元年度、神戸驛要覧、グラビア印刷)。

増築部分の、ほぼ全貌が良く分かる写真です。この頃には人力車の数も激減して、円タクが並ぶ様になりました。
右側の小さな建家は、配車係と運転手の詰所と思われます。円タクは、タクシー自動車会社の、1円タクシーの略称で、
1円均一で大都市を走りました。大正13年6月27日に大阪で始まり、同年6月10日には、東京にも伝わりました。
   
大正元年8月5日に、初めてタクシーが登場した頃の運賃は、バラバラで苦情が多かった為、均一制が登場しています。
昭和の時代に、料金が代わった後も、円タクの名称は通称として残ります。
   

茜堂-ニ代目駅舎概要図
茜堂-ニ代目神戸駅図面
ニ代目神戸駅舎の、
二階増築後の、施設や機能を、
面図で紹介します。

二代目(明治22年3月7日)煉瓦造りの、神戸驛の一階と二階の正面図面と、ホームと一階部分の展開図面。

正面図の、二階右(西)側に施設が増築され、増設の二階には、車掌室が移設され、従来から有った二階右(西)側には、
電話交換室と、事務室が入っています。また、二階左(東)側には「みかど食堂」が入っています。
   
展開図は、一階のみを表していて、右(西)側から駅長室、そして職員用の西出入口を挟んで、小荷物を扱う部屋が有ります。
コンコースには、一時預かり窓口と、受註引渡窓口が置かれ、小荷物室の道路側には、人力車乗降場が設けられています。
   
また、コンコースには、案内所と改札場が設けられ、それより、左(東)側には1、2、3等の待合室が有り、
貴賓室も設けられていて、更に、左(東)側には、二階の「みかど食堂」と同じ系列の、軽食「みかど」が置かれています。
そして職員用の東出入口を挟んで、駅舎本体から離れる様な形で、平屋の駅員詰所が並んでいます。
   

茜堂-神戸駅構内線路略図

二代目(明治22年3月7日)神戸停車場構内線路略図(大正15年〜昭和元年度、神戸驛要覧)。

大正末期時代の、神戸停車場構内の線路図から、昭和3年4月1日の、神戸機関区廃止直前の、最大規模の姿が読み取れます。
本線4本、山陰発着線3本、東京線4本、裏線10本、機関庫線9本、中線10本、貨物線8本、奥には洗條線9本と壮大です。
   
廃止後、残る貨物線8本は、昭和3年12月1日に新設された、東海道本線貨物支線の終着駅、湊川駅の開業まで残されますが、
昭和3年12月1日からは、神戸駅での貨物取扱いを廃止し、海沿いに出来た湊川駅に、貨物取扱業務を移管します。
神戸駅からは、ホーム線関係以外の線路は、全て廃止(跡地は後に住宅地化)される事となります。
   
その後、昭和5年7月には、高架駅化に向け、近代設備を備えた駅舎へと改築が、場所を変えて始まります。
建設用地の関係から、ちょうど初代神戸駅駅舎跡と、ニ代目神戸駅駅舎との、間に挿まれる様な位置に置かれています。
昭和9年12月5日、高架化第2期工事が完了し、近代的な三代目神戸駅駅舎が開業します。
   

茜堂-三代目駅舎
茜堂-三代目神戸駅
三代目の駅舎は、高架化に伴い、
昭和6年10月10日、現場所に開業。
今日に至っています。
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写真上-23、三代目(昭和6年10月10日)鉄筋コンクリートの神戸驛(未完成)=北口(織田写真館発行絵葉書)。

大阪鉄道管理局工務課の主任技師、柴田四郎氏の手により設計された、三代目駅舎は、
昭和6年10月10日の、第一期工事高架複線化に向け、昭和5年7月1日に未完成のまま、三代目駅舎として開業します。
完成迄、更に4年程かかります。山陽本線側には、高架部分が写っています。駅前植栽にまだ柵が有りません。
   

茜堂-三代目神戸駅
茜堂-24

写真下-24、三代目(昭和9年12月5日)鉄筋コンクリートの神戸驛(駅東側)=北口(発行元不明絵葉書)。

第一期工事高架複線化完了の、昭和6年10月10日から、第二期工事高架複々線化に向けて着工が進み、
三代目神戸駅舎の開業から、4年後の昭和9年12月5日に、鉄筋コンクリートと、タイル貼りの、三代目駅舎として完成。
貴賓室も備える、豪華な造りとなりました。現在では、貴賓室は役目を終え、駅舎内に保存されています。
   

茜堂-三代目神戸駅南側広場
茜堂-25

写真-25、三代目神戸驛南側駅前広場=額入竣工(昭和34年3月5日)写真(273×456mm)、東神建設株式会社撮影。
茜堂管理者所蔵の記録写真より。

東神建設株式会社、造成工事施行により、昭和34年3月5日に竣工された、神戸駅南側駅前広場。
右側が、神戸駅で、左側には、東海道本線の貨物支線(通称、神戸臨港線)湊川駅(貨物駅)が、写っています。
昭和60年3月14日に、鉄道貨物輸送事業縮小で廃止され、跡地は、再開発に因り、神戸ハーバーランドになっています。
   
左手に有る、東海道本線貨物支線(神戸臨港線)終点駅の湊川駅、その1駅手前に神戸港駅が有りました。
大正13年8月3日に、開業した神戸港駅は、ボートトレイン運行に伴い、開業と同時に旅客扱いを開始しています。
   

茜堂-神戸港駅乗車券
茜堂-乗車券(神戸港〜大阪)表 茜堂-乗車券(神戸港〜大阪)裏

昭和10年5月30日、乗車券、表、裏、神戸港駅〜大阪駅、32.2粁、3等、52銭、神戸港駅発行、鉄道省、GJR赤地紋。

ボートトレインとは、船車連絡列車の事で、船と連絡を図る目的で港へと乗入れし、運行された列車の事で、
新港第四突堤(当初、新港第一突堤)から、日本郵船の欧州航路に接続する為に、京都駅〜神戸港駅間で運行されました。
同列車は、海外との連絡口として、神戸港駅の他に、横浜港駅、新潟港駅、敦賀港駅、長崎港駅等、5港で運行されていました。
   
同区の牽引機は、神戸港の入換えで使われていた、汽笛の変わりにチャペルの様な鐘が有る、8620が使用されていました。
昭和15年頃、渡航客が航空機に奪われ、開戦前の事も有り、受入れ国の絡みから、ボートトレインは事実上の運行休止となり、
それに伴い神戸港駅は、旅客営業を休止しましたが、混沌とした時代でも有り、正式な廃止日は分っておりません。
   

東海道本線貨物支線(神戸臨港線)は、東海道本線に有った東灘信号所(後の東灘操車場)〜神戸港駅〜湊川駅間の事を指し、
神戸港駅からは、別途に支線として摩耶埠頭駅迄続いていました。
   


貨物専用の臨港線、5港に、
日本郵船欧州航路に、接続する、
旅客用ポートトレインが、運行。
茜堂-神戸港駅スランプ

昭和16年8月11日押印、駅スタンプ、神戸港駅印、鉄道省。

当頁の駅スタンプ画像は、他の頁とは縮尺が異なり、当頁の切符画像と同率としています。
丁度、A型券の裏面に収まる様になっていて、非常にコンパクトに、客船のデザインが施されています。
尚、昭和16年夏の押印は、休止中の旅客駅としての、正式な廃止日前で有ったのかは、残念乍ら、定かではございません。
   

茜堂-急行券代用証
茜堂=急行券代用証(表) 茜堂=急行券代用証(裏)

昭和41年12月2日、職員用急行券代用証、表、裏、神戸港駅長発行、国鉄、JNR緑地紋。
   

茜堂=急行券代用証(表) 茜堂=急行券代用証(裏)
昭和40年代初頭、
貨物駅での神戸港駅長発行の、
職員用の、急行券代用証。

昭和44年8月5日、職員用急行券代用証、表、裏、神戸港駅長発行、国鉄、JNR緑地紋。

神戸港駅長から発行された、急行券の代用証で、一般の急行券に変わる、職員用の無料急行券となります。
つまり、職員用急行券代用証とは、職員が急行列車に無賃で乗車出来る、証票を指しています。
当然、その都度、管轄の上司の許可を得て、管轄の上司から発行される事となります。
   
裏面には、この代用証は、職員用普通乗車券と同時に使用する場合で、その乗車券と同一等級に限って有効です。の記載有り。
この時代の、神戸港駅は旅客営業は、既に廃止され、貨物駅としての神戸港駅でした。
これらの、
東海道本線貨物支線(神戸臨港線)は、平成15年12月1日に、全線廃止されています。
   

茜堂-鉄道郵便
茜堂-三代目神戸駅ホーム
専用の郵便車両が活躍、
ホームは郵便物で賑わっていましたが、
昭和59年2月1日、廃止。
茜堂-26

写真-26、三代目神戸駅初期の頃の、鉄道郵便物の積替え風景=プラットホーム(発行元不明絵葉書)。

三代目初期の頃の神戸駅ホーム、スハフ34、スロフ31と思しき車両が、停車しています。
当時の郵便車両は、スユ30とスユニ30の夫々の前身、スユ36000形、スユニ36200形が、使われていました。
   
その後、鉄道郵便は交通事情の変化に伴い、昭和59年1月末を以て、取扱い便が休止され、
昭和61年9月末には、護送便、締切便も休止。郵政省が所有していた、鉄道郵便車両は全廃されます。
郵政省所有の為、転用が効かず、クモユ143形や、一部のスユ15形等は、製造から僅か4年で、廃車となっています。
   

茜堂-超特急燕号
優等列車専用、1番ホームから、
一等展望車を、従えて、
出発をする、超特急燕号。
茜堂-27

写真-27、昭和9年、神戸駅1番線、上り特急燕、12列車、マイテ370(一等展望車)、茜堂管理者所蔵の記録写真より。

神戸駅1番ホームは、元々、神戸駅始発東京行きの、優等列車用に割り当てられた、専用ホームでしたが、
現在では、待避線として使われ、平日朝の快速のみが使用、それ以外は終日閉鎖されています。
   
昭和5年10月に、牽引機C51で、神戸駅〜東京駅間に超特急「燕」が、11列車、12列車で運転開始されました。
東京駅〜大阪駅間では、前年から運転を開始していた特急「富士」と比べ、2時間30分近く短縮する、8時間20分で、
東京駅〜神戸駅間は、9時間で運転を行い、その速さから「超特急」と称されました。
   

時間を稼ぐ為、停車駅数を減らした事で、牽引機C51の後ろには、水槽車(機関車付随で型式無し、後のミキ20)が付けられ、
乗務員は車掌室から、走行中に、水槽車の横のステップを伝い、テンダーに登り、キャブ迄、大変危険な乗務員の交代でした。
但、当初は水槽車(水30立方m=30屯)が、付けられてい為、客車の牽引は最大7両が限界でした。
   

茜堂ー国鉄バス
茜堂-神戸駅国鉄バス
国鉄バスの神戸駅としては、
昭和39年10月5日に、駅南口に開業。
JRバスの停留所名称は、神戸駅南口。
茜堂-28

写真-28、国鉄バス神戸駅開業初日、神戸駅=南口、茜堂管理者所蔵の記録写真より。

昭和39年10月5日、名神高速線開業(神戸〜名古屋間、215.5Km)、始発神戸駅。
現在の名神高速線の神戸系統は、三宮バスターミナル(一部、神戸ポートピアホテル)での、始発着となっています。
   

三菱ふそうMAR820型改、ターボチャージャー付きエンジン(8DB20AT型、290ps)の、国鉄型量産型車両。
精悍な面構えにJNRマークを身にまとい、スワローマークを中央に、銀と青色の精悍なストライブが、速さの象徴でした。

   

歴代の神戸駅の画像位置関係を、国土交通省の航空写真(データ購入)上に、配列してみました。
次の
地図上の丸囲み数字は、上記掲載画像を指し、矢印はその方向から見た、大まかな位置を表しています。
   

茜堂-神戸駅マップ

上記掲載の航空写真画像は、昭和60年10月15日撮影の、国土交通省画像(画像整理番号=CKK-85-4-C12A-18)から、
正規の方法で、データ購入(画像オーダー番号=E-4D30-026)をした物です。
   
初代神戸駅は、現在の神戸駅から東南寄りの、元、湊川貨物駅(現、神戸ハーバーランド)内に、位置します。
構内には、鉄道桟橋も備え、小振りながらも機能的なヤードを、有していました。
   

尚、初代神戸駅の地であった国鉄湊川貨物駅は、灘駅から分岐した臨港線の最西端に、位置した貨物駅で、
昭和57年11月に役割を終え、平成4年10月、その跡地に現在のハーバーランドが、誕生しました。
二代目神戸駅は、旧神戸市電沿いに位置し、湊川神社(楠公さん)を下った所に有りました。
   

また、二代目神戸駅は広大なヤードを有し、海路を繋ぐ拠点としても、歴代随一の規模と機能を誇っていました。
その二代目神戸駅のヤード(図面緑丸)は、神戸高速線が直下を通る、国道28号の南側と、
新開地三丁目交差点から、山陽本線まで続く道路と、JR高架線と国道28号が交わる、三角地帯に有りました。

   

余談ですが、現在の神戸駅出入口では、方位的には西口と東口になりますが、北口、南口の表現をとっています。
それらは、地域の生活感から、一般的に山側が北、浜(海)側が南とされ、その風習から来ています。
事実、方向案内等では北方面を山側、南方面を浜側と記載されたりしています。
   

また、駅より山側を駅山手、浜(海)側を駅浜手とも、呼ばれています。
神戸駅のみ、路線がS字形となっているが、周辺駅との出入口呼称の整合性から、西口、東口の表現はございません。




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責務を負えない事をご了承願います。

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