日本の蒸気機関車・終焉/茜堂

最終を飾った黒鉄の蒸機達=茜堂

茜堂-蒸気機関車最終の章
昭和50年12月14日に、旅客運用が、そして10日後の24日には、貨物運用が、蒸気機関車の仕業から外されてしまいます。
本線運用から外された後に、三両(39679、49648、79602)のSLで、追分操車場の入換え作業に従事しますが、
翌年の昭和51年3月2日、39679号機の運用を以て、全てのSL運用の最終を迎えます。
   

追分区のSL達は、保存先も決り移動日を、待つばかりでしたが、
終焉を迎えて一ケ月後の4月13日、追分機関区扇形庫の火災により、保存予定機関車の全てを焼失しています。
   
終焉に立会った現役時の姿を、茜堂思い出の写真から紹介致します。


茜堂-C57135苫小牧

C57 135号機(岩見沢第一)、苫小牧、227列車。
   

昭和50年12月14日、SL牽引旅客運輸の最終日に、室蘭駅〜岩見沢駅間で、さよなら225列車の客車を牽引しています。
最終前日での通常仕業は、D51 953号機が牽引しています。
さよなら列車を以て、蒸気機関車牽引での、国鉄旅客運輸が終了しました。
翌日の15日には、第一種休車に指定され、翌年の昭和51年3月31日付けで、廃車されました。
   
東京交通博物館での静態保存の為、昭和51年4月4日、鉄路にて岩見沢を出発し、大宮より陸送されます。
平成19年10月14日、鉄道博物館(さいたま市)オープンに伴い移設され、以前と同様に、主役級の展示車両となっています。


茜堂-D51241+DE101732栗丘

先務機=D51 241号機(追分)ギースルーエジェクター煙突装備機、本務機=DE10 1732号機(追分)、栗丘〜栗山、5692列車。
   

昭和50年12月24日、SL牽引貨物運輸の最終日に夕張駅〜追分駅間で、6788列車の貨物を牽引しています。
6788列車を以て、蒸気機関車での国鉄貨物運輸が、終了しています。
   
D51 241号機は、北海道の苗穂工場生まれで、追分機関区に初配備されて以来、最後まで同機関区に所属しています。
昭和51年4月13日、追分機関区扇形庫の火災により、他の保存予定機と共に焼失しています。
追分町鉄道記念館での、保存予定機でした。
現在は、D51 241号機の代わりとして、D51 320号機が保存されています。
   
焼け残った、煙室扉(ナンバープレート)と、第3動輪(別機)が、当初の保存地で有る、追分町鉄道記念館に保存されています。
鉄道博物館には、ナンバープレートが、第4動輪は、旭川市東旭川町(企業敷地内)に、それぞれ保存されています。
第2動輪については、北海道内の個人が保有されている様です。


茜堂-D51603紅葉山

美しく磨き込まれた、D51 603(追分)、紅葉山、5797列車、切離給水中。SL貨物全廃3日前。
   

昭和50年12月24日、SL本線仕業の最終仕業の一つ前、変A6仕業(5797レ〜5794レ)に付きました。
夕張駅〜鹿ノ沼駅間を、5794列車で貨物の牽引を、鹿ノ沼駅〜追分駅間(18時35着)を単5794列車にて終了し、追分機関区へ帰庫。
D51 603号機は翌年1月迄、有火予備機として追分機関区に残り、国鉄最終4番目の稼動SLとなっています。
   
昭和50年9月16日〜10月3日、国鉄最後のSL中間検査Aの工場検修を、苗穂工場にて、滝川機関区時代に受けています。
昭和51年4月13日、追分機関区扇形庫の火災により、他の保存予定機と共に焼失しました。
国立科学博物館での、保存予定機でした。
現在は、D51 603号機の代わりとして、D51 231号機が保存されています。
   
D51 603号機は、焼け残った前頭部と第二動輪までが、京都市の嵯峨野観光鉄道19世紀ホールに、保存されています。
第3動輪は、北海道三笠市幌内の三笠鉄道記念館に、保存されています。


茜堂-79602倶知安

79602号機(倶知安)、倶知安機関区。
   

昭和51年3月2日、追分操車場内で、国鉄最後の現役SL牽引での、貨物入換え作業が終了します。
これを以て、3月2日が、国鉄でのSLに因る作業の、最終日となりました。
最終作業は、39679号機が執り行い、79602号機と共に追分操車場で、お別れセレモニーが行われました。
79602号機は、3月25日まで、有火予備機として追分機関区に残り、事実上の国鉄最後の稼動可能な、SLとなっています。
   
特徴のあるデフは、昭和29年の門司所属時に装備された物で、門デフ(小工式K-7型)と、呼ばれています。
熊本を最後に、北海道の倶知安に配備され、デフは付け変えられずに、最終を追分機関区で過ごします。
   
昭和51年4月13日、追分機関区扇形庫の火災により、他の保存予定機と共に焼失。
渡道の地、倶知安町での保存予定機でしたが、代わりに9669号機の第3動輪が、胆振線六郷駅跡地公園に、保存されています。
   
現役最後の39679号機、49648号機、79602号機の内、若番2両は、扇形庫外に駐留の為、火災焼失を免れ、
火災の後、39679号機は苗穂工場へ移送され、長期留置の末、保存されずに解体されました。
残った、49648号機は、中頓別町の寿公園に、静態保存されました。
   
保存予定機を保全の為に庫内に、解体予定機を庫外に駐留させていた為に、解体予定機の方が残されてしまいました。


茜堂-追分操車場最後の煙り2条

39679号機、49648号機、79602号機、黄昏行く冬の追分操車場にて、最後に昇った3条の煙り。
   

全ての蒸気機関車が、本線上から姿を消し、最後のSL使用での、貨物入換え作業が終了する、3月2日迄の、3ヶ月と6日間、
39679号機、
49648号機と、79602号機の3両のカマが、積雪の追分操車場に残り、細々と稼動していました。
画像の煙りは、どちらのカマの物かは判りませんが、寂しい情景乍らも、終焉迄のカマの息吹が、しっかりと伝わって来ます。
   
掲載写真のキャプションは、形式機番(撮影時の所属)と、列車番号と、場所のみを、記入させて頂きました。



追分機関区扇形庫火災概要=茜堂


昭和51年4月13日、午後11時45分頃、北海道勇払郡追分町の、国鉄追分機関区の木造扇形庫で、火災が発生。
電気溶接工事の、火花の飛び火が原因だとも、漏電による物とも、言われていますが、その詳細原因は判明されていません。
老朽化した木造庫の為、火の廻りが早く、木造扇形庫3135平米を全焼し、14日の午前1時5分頃に鎮火しています。

電動式ターンテーブル(転車台)の給電線が、焼き切れた為、機関車の引出し救援に手間取り、
庫内に有った機関車15両の内、引き出せたのがDL2両のみで、残る、SL5両とDL8両を、残念な事に、焼失させてしまいました。

   
追分機関区扇形庫火災により、消失したSL。
D51 241号機(追分)、D51 465号機(追分)、D51 603号機(追分)、D51 1086号機(追分)、79602号機(追分)の5両。
   
追分機関区扇形庫火災により、消失したDL。
DD51 682号機(追分)、DD51 683号機(追分)、DD51 684号機(追分)、DD51 1079号機(岩見沢第二)、
DD51 1103号機(岩見沢第二)、DD51 1114号機(岩見沢第二)、DD51 1169号機(岩見沢第二)、DE10 1744号機(追分)の8両。




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