鉄道親爺の脱線話/茜堂

唯我独尊、茜堂の鉄道親爺の脱線話=akanedou

兼ねてから、茜堂が気になっていた事柄を、不定期列車にて、ピックアップ致していきます。
勿論、物事には表現の自由がございますので、これが正しくあれが間違いと、一方的に断罪するものではございませんが、
当ホームページに措いては、
以下の解釈にて展開させて頂かせておりますので、
色々なご意見が有りますでしょうが、茜堂の鉄道親爺の独り言として、ご容赦下さいます様お願い申し上げます。

茜堂-コーナーマーク
2018/01/11/THU=大きな大きな横三条赤線C型券
対比する画像も無く、一見、C型券ですが、実は規定上のC型券より、一回り大きいのです。
その分、一見、硬券風ですが、実は半硬券となっていて、容量は同じで、プレスを掛けて大きくした、熨斗イカの様です。
謹賀新年、御目出度う御座います。いつもより大きく出来てます。と、言う感じです。
   

規定上のC型券は「旅客営業規則第189条」に拠り、縦6×横5.7cm(昭和34年9月22日改定、当初は寸表示)となっていますが、
然るに、当券では、縦7.6×横6.2cmとなっていて、微妙に大きく、微妙に薄い、やはり熨斗(のし)イカで有る。
熨斗(のし)とは、一般的には慶事での、進物や贈答品に添える飾りで有り、お年玉のポチ袋の、右上に有るのがそれで有る。

   

因みに、元来、長寿を表す鮑(あわび)が使われていた為、状況に応じて、お見舞い等にも、熨斗(のし)を使う場合も有る。
尚、漢語での「熨斗(ユンドウ)」は「熨=熱でシワを伸ばす」と「斗=ひしゃく」の意で、成り立っています。
即ち、昔のアイロンで有る火熨斗(ひのし)を指しています。これは現代の中国語でも「熨斗」はアイロンを、意味しています。
   

強引な引用で申し訳無いが、アイロンの、熱と重さで、イカがペッチャンコで、熨斗イカとなる。
話は、切符のお話から、大きく逸れたが、お目出度い新春、お正月なのでお許し有れ、正に脱線話では有る。
三が日で脱稿するぞ、と、熨斗イカを肴に、お酒を呑み乍ら意気揚々と、炬燵にてMac Book proと対峙しています。
   

出来上がった途中原稿は、凛とした作業室(趣味の部屋)に、デンと置かれているMac proへと、mailで飛ばします。
WEBへの作り込みは、この部屋にてNOアルコールで、一心不乱&真面目に行います。
普段は、いい加減で、チャランポランな筆者ですが、この時ばかりは、人が違ったかの様に真剣です。
   


茜堂-高野山周遊C型券(表) 茜堂-高野山周遊C型券(裏)

明治41年4月16日、高野和歌山周遊乗車券、天王寺-橋本.高野口(往)、橋本.高野口-難波.湊町大阪間各驛(復)、
三等、金壹圓六拾銭。逓信省帝国鉄道庁、無地紋。


こちらの画像は、昨年中に作成をしていたので、平成29年から平成30年に掛けて、実に二年越しで作り上げた、頁となる。
三が日最終日に、二年越しの超大作と、感慨深く添削を行っているが、文体の完成度が高いのか、はたまた低いのか、
面倒臭いのかは分からないが、朝から遅々として進まない。恐らく長年の経験から、中者と後者で有る事は、極めて明々白々。
   
さて、大きく脱線したので、復旧作業に入る事とし、機関庫の隅に置かれている、救援車スエの登場となります。
切符は、官営鉄道(逓信省帝国鉄道庁)発行の、往復乗車券で有り、国有化された約半年後の、企画券です。
   
周遊の地で有る高野山は、和歌山県北部の周囲1000m級の山々に囲まれた、標高約800mの平坦地に位置し、
平安時代(弘仁7年)に、嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜された、修禅の道場として開いた、日本仏教に於ける聖地の一つとなっています。
高野山真言宗、総本山(根本道場)金剛峯寺の、壇上伽藍(だんじょうがらん)を中心として、広大な宗教都市を形成しています。
   
往路は、天王寺駅発行に因り、天王寺駅発となっていますが、復路は難波駅、或は、湊町駅〜大阪駅間の、各駅選択下車となっています。
往路着駅の高野口駅は、明治40年10月1日の鉄道国有法に拠り、関西鉄道が国有化され、現JR和歌山線の駅となります。
また、復路着駅の難波駅へは、今宮駅(明治23年1月1日開業)にて、阪堺鉄道(南海)への連絡乗車となります。

   
湊町駅(現、JR難波駅)は、明治22年5月14日に、券面の始発となる天王寺駅と共に、大阪鉄道の駅として開業します。
また、現JR大阪環状線の東側は、大阪鉄道の城東線として、明治28年5月28日に、天王寺駅〜玉造駅間が開業し、
同年10月17日に、梅田駅迄延伸しています。梅田駅は、明治33年6月6日、関西鉄道に合併後、官営鉄道の大阪駅に統合されます。
   
尚、高野登山鉄道(現、南海高野線)の橋本駅は、大正4年3月11日に延伸開業している事から、当時、まだ存在はしていません。
一旦、和歌山市迄南下し、高野山へ北上する鉄道路線のみで、現在の高野線が開業する迄、倍以上の時間を要していました。
それでは、今年も一年、茜堂の鐵路趣味を、ご開張下さいます様、宜しくお願い申し上げます。




あくまで茜堂の親爺の独り言でございますので、概ね独りよがりです。相違の場合にはご容赦下さいませ。
当ページの掲載写真は、茜堂による原盤ネガや原盤ポジからの画像やデジタル画像の為、無断複写や画像への直リンクは禁じております。
記述に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。
   

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