鉄道親爺の脱線話/茜堂

唯我独尊、茜堂の鉄道親爺の脱線話=akanedou

兼ねてから、茜堂が気になっていた事柄を、不定期列車にて、ピックアップ致していきます。
勿論、物事には表現の自由がございますので、これが正しくあれが間違いと、一方的に断罪するものではございませんが、
当ホームページに措いては、
以下の解釈にて展開させて頂かせておりますので、
色々なご意見が有りますでしょうが、茜堂の鉄道親爺の独り言として、ご容赦下さいます様お願い申し上げます。

茜堂-コーナーマーク
2017/11/15/WED=命の沙汰もマネー次第
連絡船内上級変更券、懐のやや温かい方々は、お直り客として、船内で2等から、1等へと鞍替えをします。
中には、2等客室がいっぱいで、泣く泣く1等客室へ、手出しで、鞍替えをさせられる客もいるが、そういう方は稀である。
その逆の、1等客室が満席で、泣く泣く2等客室へ、不幸にも下級変更証明書を渡され、鞍替えさせられる客もいる。
   

やはり、船底一枚下は地獄で、洋上を行く客船は、いざとなったら、上層階に位置する、一等客を一番先に優先する。
二等客は二の次、そんな不安が、乗船すると増幅をする。だから、俄か金持ち(1等客)に、変身するのだろう。
映画タイタニックでも、沈没時には、明らさまに、一等客(金持ち)を優先して避難させ、二等客以下は、残念乍ら後回しであった。
   

北海道の硬券切符は、影文字の宝庫で有る。青函連絡船の連絡船内上級変更券も、ご多分に洩れずカラフルである。
様々な、お直り客用に「小」「学」「遊」「身」「衛」「職」「復割」等々、バリエーション豊かである。
2等から、1等に変更する際、原券運賃に対して、差額を徴収しますが、それぞれの料金が異なる為の、即応措置となります。

   

何より、重厚な影入りの常備券で、頂けるのが嬉しい。それだけ、お直り客が多い証拠なのだろう。
晩年の国鉄連絡船の、船内で購入する、自由席グリーン券の対象が、1等客室に相当する。
   

そんなこんなで、お守り券みたいな切符では有るが、急ぎ旅の旅行客にとっては、退船時、出口に近いのも、また魅力である。
青函連絡船ではご存知、マラソン桟橋を疾走し、辿り着いたゴールの船内案内所で、自由席グリーン券を購入する。
座席数が決まっているので、皆さん必死で有る。鉄ちゃんは、ホームの階段近くのドア迄、客車の中を予め移動しておく。
   

茜堂-連絡船内上級変更券(表) 茜堂-連絡船内上級変更券(裏)

昭和38年12月30日、連絡船内上級変更券、2等から1等へ、函館〜青森、300円(手数料共)、501便、摩周丸発行、国鉄、JNR緑地紋。

発駅で、異級乗車券でも買って措けよと、職員は心の中で思うのだろうけれど、乗客は乗船してから上級に心変わりをする。
所謂、お直り客で有る。船の場合、いざ乗ってみると、些かの不安が胸を過るので有ろうか、結構、需要が多い券で有る。
   


茜堂-連絡船内上級変更券(表) 茜堂-連絡船内上級変更券(裏)

昭和39年8月19日、連絡船内上級変更券、学影、2等から1等へ、函館〜青森、358円(手数料共)、羊蹄丸発行、国鉄、JNR緑地紋。

学生の分際(偏見)で、2等から1等へと、お直りをしている。斯く言う筆者も、学生時代の渡道時には、お直りをしていました。
やはり、板子一枚下は地獄、燃しもの時の、お守り札の様な物で有ったので、ご容赦有れ。
   


茜堂-連絡船内上級変更券(表) 茜堂-連絡船内上級変更券(裏)

昭和42年9月2日、連絡船内上級変更券、身影、2等から1等へ、函館〜青森、590円(手数料共)、5便、十和田丸発行、国鉄、JNR緑地紋。
   

茜堂-1等上級変更券(表) 茜堂-1等上級変更券(裏)

昭和55年11月16日、1等上級変更券、2等から1等へ、和歌山港〜小松島港、1470円、さい丸、南海フェリー発行、社緑地紋。

予め、異級乗車券を購入しておけば、良い様なのもですが、やはり土壇場迄、悪あがきをするのか、或は美味しい硬券を得る為か、
古の旅人達の心は読めないが、鉄ちゃんならば、乗船後のプラスワンが嬉しい事は、言う迄も有りません。
但、昭和43年10月1日(昭和43年9月14日=国有鉄道公示代40号)にて、国鉄では、従来の連絡船内上級変更券は、廃止されました。
   

茜堂-航路1等併用券(表) 茜堂-航路1等併用券(裏)

昭和44年3月14日、航路1等併用券、1等、高松〜宇野、差額90円、高松駅発行、国鉄、JNR緑地紋。

発駅で常備の異級乗車券を、全て口座完備は出来ませんので、そんな時には、この航路1等併用券が活躍します。
昭和43年10月1日施行(昭和43年9月14日=国有鉄道公示代40号)にて、この航路1等併用券(上級変更券)が、登場しています。
航路1等併用券は、発駅で乗車券を持つ客の要請で発行され、従来の補充券発行に比べ、運賃計算の煩雑さが無く、画期的な物でした。
   
そんな、発券現場の救世主、航路1等併用券ですが、僅か7ヶ月余りの短命に、終わっています。
昭和44年5月10日施行(昭和44年5月9日=法律第22号、国有鉄道公示代102号、旅自達第6号)にて、等級制が廃止されました。
これ以降は、モノクラス制となり、特別車両券として、言葉の摺り替えの様な、グリーン券が登場します。

   

茜堂-連絡船用グリーン券(表) 茜堂-連絡船用グリーン券(裏)

昭和47年7月15日、特急・急行・グリーン券、函館〜東京都区内、3000円(税共)、函館駅発行、国鉄、JNR緑地紋。

お金に余裕が有り、且ツ、太っ腹な乗客は、この「特急・急行 連絡船グリーン券」を、発券駅で乗車券と共に購入します。
特別船室や、特別車両を乗継いだり、或は、特別車両が走ら無い区間が有っても、通算キロ数で料金計算をし、1枚の券にて発行されました。
また、特急、急行列車のグリーン車を、使用する場合は、当券と乗車券の他に、種別券(特急券、急行券等)が、必要となります。
   

茜堂-連絡船用グリーン券(表) 茜堂-連絡船用グリーン券(裏)

昭和50年8月16日、グリーン券(自由席)、青森〜函館、400円、青森駅発行、国鉄、JNR緑地紋。

従来の「特急・急行 連絡船グリーン券」が、昭和49年10月に廃止され、1箇列車限り有効とし、実際の乗車キロ程に対する、
料金制に変更されます。更に、小児グリーン料金の廃止と、グリーン券は指定席となり、自由席用は、自由席グリーン券と改称されました。
また、関連発売制度の採用で、特急、急行券とグリーン券、急行券と自由席グリーン券との、一葉化券も登場します。
   
自由席グリーン券の過度期券で、自由席グリーン券と表示されず、グリーン券(自由席)と表示されています。
   

茜堂-連絡船用グリーン券(表) 茜堂-連絡船用グリーン券(裏)

昭和53年12月11日、自由席グリーン券、青森〜函館、1000円、大雪丸発行、国鉄、JNR緑地紋。

海峡を潜る、関門トンネル開通後の、関門連絡船、青函トンネル開通後は、惜しまれ乍ら、青函連絡船も姿を消した。
本州と四国を結ぶ、連絡橋等が整備され、益々、連絡船の出番が、少なくなりつつ有ります。
鉄道旅の一服の清涼剤、離岸すると時の、切ない別れの儀式の紙テープ、ドラの音も旅情を誘う、鉄道連絡船。
   
そんな鉄道連絡船も今や、JR(西日本)では、宮島口駅〜宮島駅を結ぶ、宮島連絡船しか残っていません。
因みに、他社では南海電鉄の子会社、和歌山港駅〜徳島港駅を結ぶ、南海フェリー。柳井港駅〜三津駅を結ぶ、防予フェリー。
そして、越ノ潟駅〜堀岡(旧、新港東口駅跡)を結ぶ、富山県営渡船の、僅か4航路となっています。
   

茜堂-青函連絡船

青函連絡船、第4便(17時00分〜20時50分)、摩周丸、函館桟橋、第二岸壁。
   
青函連絡船の函館桟橋には、内陸側から、第一岸壁、第二岸壁の二つの桟橋が有りました。
画像は、函館桟橋を離岸する、ニ代目摩周丸(津軽丸型連絡船)です。中央の奥に、貨車と函館駅4番ホームや、跨線橋が見えます。
摩周丸は、昭和63年3月13日、青森15時00分発、函館18時50分着の、第5便を以て終航し、函館桟橋にて保存公開後、平成26年に解体。
   

茜堂-函館桟橋駅駅長

寒風吹きすさぶ中、青函連絡船が函館桟橋第二岸壁を離岸する際の、安全確認の為の駅長の見送り風景。
   

茜堂-青函連絡船

ニ代目摩周丸は、函館湾を外洋に抜け、大きく取(酉、Port)舵を取ります。大きな船体はゆっくり右に傾き、左へ回ります。
背景には、雪を冠した桂岳と連なる山々が、いつ迄も見送ってくれます。背後に当たる風が、身を切る寒さです。
車載甲板には、懐かしの初代日産フェアレディZ(S30)が、船尾旗(入出港時、沿岸航行中は常に掲げます)の直近に、固定されています。
   

茜堂-青函連絡船

津軽海峡を巡航する摩周丸、右の部屋がグリーン船室で、天井にはグリーン船室の行灯が、設置されています。
遥か遠くに、駒ヶ岳が霞んで見えます。青森の大間崎の手前辺り迄、冬場の空気の冷えた晴天時には、頭を出してくれます。
   
青函航路の、実距離は61海里、旅客営業キロ程113.0km、貨物営業キロ程300kmで、就航船の航行資格は、
陸岸から最も離れる、津軽海峡中央部でも、20海里以内の為、沿海区域(船舶安全法施行規則第1条第7項)となっていました。
また、乗組員は操船を担当する甲板部と、機関部、通信部、客室担当の事務部等、4つの部署で構成されていました。
   
青函連絡船は、明治41年3月7日に開業し、廃止の昭和63年9月19日迄、東北本線及び、奥羽本線の終点で有る青森駅と、
津軽海峡を隔てた、函館本線の起点で有る函館駅とを結ぶ、国鉄の鉄道連絡船(全ての船籍は東京港)でした。
昭和62年4月1日の、国鉄分割民営化に因り、北海道旅客鉄道(JR北海道)函館支店に承継され、船籍港を函館に変更します。
   
その後、昭和63年3月13日に開通した、青函隧道(三線式スラブ軌道)にその役割を譲り、春からの暫定運航を、同年9月18日に終了。
暫定運航の最終便(4便)に使用された、ニ代目十和田丸が、翌日の19日、青森港から函館港への、回航5011便を以て
津軽海峡から、青函連絡船は完全に消える事となり、同日にて正式廃止の上、80年の歴史に幕を閉じました。
   
隆盛を極めた青函連絡船ですが、鉄路の利便性に、押される様な形で、人のみの乗船が激減し、
現在は、津軽海峡フェリー、青函フェリーの二社が、函館港〜青森港間を就航しています。




あくまで茜堂の親爺の独り言でございますので、概ね独りよがりです。相違の場合にはご容赦下さいませ。
当ページの掲載写真は、茜堂による、収集切符のデジタル切抜き画像の為、無断複写や画像への直リンクは禁じております。
記述に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。
   

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