鉄道親爺の脱線話/茜堂

唯我独尊、茜堂の鉄道親爺の脱線話=akanedou

兼ねてから、茜堂が気になっていた事柄を、不定期列車にて、ピックアップ致していきます。
勿論、物事には表現の自由がございますので、これが正しくあれが間違いと、一方的に断罪するものではございませんが、
当ホームページに措いては、
以下の解釈にて展開させて頂かせておりますので、
色々なご意見が有りますでしょうが、茜堂の鉄道親爺の独り言として、ご容赦下さいます様お願い申し上げます。

茜堂-コーナーマーク
2016/6/1/WED=牛乳券は飲料券に有らず
本日、6月1日は「牛乳の日」です。また、毎年6月を「牛乳月間」としています。
平成13年、国際食料農業機関(FAO)が、牛乳への感心を高め、酪農、乳業を、多くの人々に知って貰う事を目的とし、
6月1日に「世界牛乳の日(World Milk Day)」を設定。日本はこれに因み、平成20年から「牛乳の日」としています。
   

朝から腰に手を当て、牛乳をグビグビと飲む、昔の朝の駅構内ならではの、風物詩でしたが、
実は、ここに掲載の「牛乳券」は、駅構内や車内で、牛乳をグビグビと飲む為の、飲料券では無く、
大阪鉄道が戦前、牛乳を電車で輸送する際に発売した、輸送用の切符です。何とも紛らわしい牛乳券です。
   

当切符に依れば、昭和4年10月30日に、矢田駅から大阪阿部野橋駅まで、運搬箱1個(40本入)を、2銭で運搬しています。
この運送料金から、牛乳瓶1本当たりの同区間での運賃は、0.05銭となり、お金の単位の最小値から、2本で1里となります。
牛乳は、昭和の中頃までは、国民の主なる飲物で、殆どの家庭には牛乳箱が備えられ、宅配されていました。

   

昭和2年に、牛乳ビンの統一が図られ、同時に初めて、牛乳の殺菌処理が、義務付けられる様になります。
お馴染みの、広口の無色透明ビンの登場です。戦時中は、物資不足の為、透明ビンから以前の有色ビンに戻されますが、
戦後の復興期には、従来の透明の牛乳ビンに戻り、現在に続いています。
   

今では、牛乳ビンの製品姿で運搬箱に入れ、電車で運搬する姿は、見る事が出来ませんが、
一昔前まで、地方線では、キハの半分にロープを張り、牛乳ビンも含めた一般荷物を、車内で運搬していました。
勿論、荷物専用車も有りましたが、座席車を臨機応変に対応すると言う、おおらかな時代の一コマでした。
   


茜堂-大阪鉄道牛乳券(表) 茜堂-大阪鉄道牛乳券(裏)

昭和4年10月30日、牛乳券、矢田駅〜大阪阿部野橋駅、1個2銭、矢田駅発行、大阪鉄道。

大阪鉄道は、初代と二代目とに、便宜上分けられていますが、当切符は、大阪鉄道の二代目に当たり、
現在の近畿日本鉄道の路線の内、大阪府、奈良県南部の南大阪線等の、路線の前身となります。
   
初代の大阪鉄道は、関西本線の湊町駅(現JR難波)〜奈良間等、城東線、和歌山線の一部の、前身となっています。
明治33年に関西鉄道に合併され、奈良駅〜湊町駅間は、関西鉄道の名阪間の本線の一部となります。
柏原駅で接続していた、二代目の大阪鉄道は当時、河南鉄道を名乗っていて、直接の資本関係等は有りません。
   
矢田駅は、大正12年4月13日、 大阪鉄道(2代目)の大阪天王寺駅(現、大阪阿部野橋)〜布忍駅間の、開通時に開業しています。
昭和18年2月1日には、大阪鉄道(2代目)は、関西急行鉄道に因り合併され、関西急行鉄道天王寺線の駅に変わります。
   
昭和19年6月1日、戦時統合に因り、関西急行鉄道が南海鉄道(現、南海電気鉄道の前身、後に再独立)と合併し、
矢田駅は、近畿日本鉄道南大阪線の駅となります。昭和51年2月21日には、高架化されました。
因に、大阪天王寺駅は、大正13年6月に、現在の大阪阿部野橋駅に、改称されています。
   
現在、牛乳原料を運ぶ場合は、JR貨物の、UT5A形タンクコンテナが、存在します。
全コンテナは、12フィートの、私有コンテナからなり、JR貨物へ登録の上、在籍編入させています。
在籍車両は151番まで有り、その内、僅か3両のみ、113〜115番が、牛乳専用車両(森永乳業所有)となっています。




あくまで茜堂の親爺の独り言でございますので、概ね独りよがりです。相違の場合にはご容赦下さいませ。
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