鉄道親爺の脱線話/茜堂

唯我独尊、茜堂の鉄道親爺の脱線話=akanedou

兼ねてから、茜堂が気になっていた事柄を、不定期列車にて、ピックアップ致していきます。
勿論、物事には表現の自由がございますので、これが正しくあれが間違いと、一方的に断罪するものではございませんが、
当ホームページに措いては、
以下の解釈にて展開させて頂かせておりますので、
色々なご意見が有りますでしょうが、茜堂の鉄道親爺の独り言として、ご容赦下さいます様お願い申し上げます。

茜堂-コーナーマーク
2015/2/18/THU=赤斜線は3本迄の筈
我国の赤斜線券では、距離式の種別券では3条迄で、特急券や急行券等の、種別式での赤斜線でも赤斜線は、3条迄の筈なんですが、
当時は、赤斜線3条が801粁以上、赤斜線2条で800粁迄、赤斜線1条が400粁迄と、有効乗車距離が決められていますが、
この普通急行券では、その有効乗車距離が、実に1301粁以上となっています。
   

当券では、赤斜線が4条も連なっていますが、漢字と平仮名が記されているので、外国の券では無い事が分ります。
でも、良く見ると、釜山桟橋の文字が読み取れる。そうです、現在の韓国の釜山です。
   

京城駅(現、ソウル駅)〜釜山駅間の、特急あかつき号を始めとして、新京駅〜釜山駅間には、急行ひかり号や、
急行のぞみ号等の、本数も多く、釜山を窓口とする、内地からの連絡が盛んで、京城、平壌(現、ピョンヤン)を経由し、
新義州、安東で満州国へ接続していましたので、鮮満連絡券も発行されていました。
   

当時は、日本が統治していましたので、日本から見ると外地の鉄道でしたが、当然、日本が鉄道も管理していました。
朝鮮半島と満州が、日本の実質的な管理下に有ったので、後続の乗車距離は日本国内の比では無く、
日本での乗車距離、801粁以上の赤斜線3条では、収まり切れない為に、外地で誕生したのが、この1301粁以上の赤斜線4条なのです。

   

大韓帝国、京釜線開通に伴い、明治38年9月11日に、下関〜釜山間を、鉄道連絡船の、関釜連絡船が就航をしていましたが、
明治43年、韓国併合に伴い国内航路扱いになります。昭和20年頃に、船舶への空襲と対馬海峡封鎖に因って、事実上の消滅となっています。
朝鮮総督府鉄道は、日本統治時代の朝鮮総督府が経営した鉄道で、英名は、The Goverment Railways of Chosen、略称は鮮鉄。
   

茜堂-赤斜線4条(表) 茜堂-赤斜線4条(裏)

昭和10年12月18日、連絡普通急行券、1301粁以上、朝鮮総督府鉄道(略称=鮮鉄、地紋=てうせん)、
てうせんそうとくふ緑地紋、釜山桟橋驛発行。

朝鮮半島は、釜山港を玄関口として、満州大陸への連絡鉄道網として、重要な拠点でした。
   

裏面の丸手印は、旅客列車に併結した荷物車に預けた、鉄道手荷物(チッキ)の所持を表しています。
画像では、やや分かり辛いが、チッキの預かり日付が打刻され、12の刻印の下に、横倒しの18の刻印が、
その右隣には、12の刻印の下に、横倒しの19の刻印が、施されています。これは12月18〜19日間、荷物車に預かる事を示す印です。
   
当時、日本が統治し管理していた、外地の鉄道での切符類等には、漢字と平仮名(古くは片仮名)が、広く使われていました。
有名なのは、満州国(現、中国)に存在していた、日本の特殊会社が経営した、南満州鉄道(満鉄)で、
標準軌道(1435mm=4フィート8.5インチ)を有し、特急あじあ号(パシナ=パシフィック7型)等が、疾走していました。
   

また、現、ロシアに有った樺太鉄道では、日本で使用している車両を使用し、日本の鉄道省(国鉄)が移管運用をしていました。
戦中迄は、中国、樺太、朝鮮半島や台湾等、地方鉄道に於けるまで、日本語での切符類が存在していました。
   

現在の大韓民国(韓国)の釜山広域市にある港湾、釜山港は、韓国の港湾法上の第1種港に定められていて、
大韓民国最大の規模と、貨物取扱量を誇っている港湾で、世界トップクラスのコンテナ貨物に於ける、ハブ港湾へ成長しており、
今や、コンテナ取扱量が、世界第5位と言う重要な港湾となっています。




あくまで茜堂の親爺の独り言でございますので、概ね独りよがりです。相違の場合にはご容赦下さいませ。
当ページの掲載写真は、茜堂による、収集切符のデジタル切抜き画像の為、無断複写や画像への直リンクは禁じております。
記述に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。
   

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