鉄道親爺の脱線話/茜堂

唯我独尊、茜堂の鉄道親爺の脱線話=akanedou

兼ねてから、茜堂が気になっていた事柄を、不定期列車にて、ピックアップ致していきます。
勿論、物事には表現の自由がございますので、これが正しくあれが間違いと、一方的に断罪するものではございませんが、
当ホームページに措いては、
以下の解釈にて展開させて頂かせておりますので、
色々なご意見が有りますでしょうが、茜堂の鉄道親爺の独り言として、ご容赦下さいます様お願い申し上げます。

茜堂-コーナーマーク
2013/9/20/FRI=二個一車体のマンモス機
二個一車体(ニコイチ車体)のEH10を、初めて見た時は、真っ黒い機関車の重連かと思いました。
自動車用語では、2台の事故車や故障車の良い所取りをして、一つの車を作り上げる、違法行為の事を指していますが、
このタイトルは、そう言う意味では無く、中間連結器で連なる二つの車体は、実は一つの車体ですよ、と言う意味で付けています。
   
東海道本線全線電化後の、関ヶ原10‰の、6Kmの連続勾配に対応すべく、昭和29年に、登場した国鉄の直流電気機関車で、
昭和32年迄に64両が製作され、東海道本線、山陽本線の、貨物列車牽引用に、全車登用されました。
国鉄が製作した、唯一の8動軸機で、国鉄史上最大級の電気機関車で、その体型からマンモスの俗称で、呼ばれていました。
   
また、そのカラーリングの、黒の体に黄色い線から、熊ん蜂(クマンバチ)との勇壮な仇名も、付けられていました。
動軸を8軸とした事で、全長22.5mに及ぶ長大な車体は、中央で2分割され、箱形の2車体を永久連結する、特異な構造となっています。
2車体間は、永久連結器で結合され、金属製の特殊な貫通幌と、高圧引き通し線が車体上部に、渡されています。
   

茜堂-EH1047
東海道本線、芦屋〜摂津本山、
三条街道踏切にて、撮影。

EH10 47号機、昭和31年11月8日、日立製作所、米原、新製配置、昭和54年6月20日、吹田第二、廃車。

電車同様の、鋳鋼製2軸ボギー台車を装備した為、先輪が不要となり、8軸の全輪駆動の超マンモス機が、誕生しました。
先輪排除でも、運転整備重量116屯、最大軸重14.5屯もの巨漢機、当然乍ら、丙線、乙線はおろか、地方幹線(甲線)にも入線が出来ない。
関ヶ原越えの、東海道本線(特別甲線)の運用に特化した、限界一杯の機関車でした。
   

線路規格の呼称ですが、軌道の整備が進んだ、昭和34年の建設規格の改正で、丙線の以下に有った簡易線を除き、
新たな線路規格の呼称として、1〜4級線と言う呼び名になり、また、昭和39年からは、最低基準の4級線でもK値は、K-14とされた。
過去の制限K値では、甲線がK-16、乙線がK-15で、丙線がK-13でしたので、最低値がK-1上がったと言う事になります。
   

特徴的な車体デザインは、インダストリアル(工業)デザイナーの先駆者でも有る、萩原政男氏が手掛けています。
国鉄車両としては一早く、外観を、外部のデザイナーに委託した事は、先見の明が有った様です。
尚、国鉄の電気機関車としては、初めて前面下部に、覆い(スカート)を装着したのは、萩原政男氏の発案によるものです。
   

因に、萩原政男氏は、パノラマカーの名鉄7000系電車(昭和39年)のデザインや、
月刊雑誌、鉄道ファンの初代編集長を、努められた事でも知られています。




あくまで茜堂の親爺の独り言でございますので、概ね独りよがりです。相違の場合にはご容赦下さいませ。
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