鉄道親爺の脱線話/茜堂

唯我独尊、茜堂の鉄道親爺の脱線話=akanedou

兼ねてから、茜堂が気になっていた事柄を、不定期列車にて、ピックアップ致していきます。
勿論、物事には表現の自由がございますので、これが正しくあれが間違いと、一方的に断罪するものではございませんが、
当ホームページに措いては、
以下の解釈にて展開させて頂かせておりますので、
色々なご意見が有りますでしょうが、茜堂の鉄道親爺の独り言として、ご容赦下さいます様お願い申し上げます。

茜堂-コーナーマーク
2013/4/18/THU=広告の様な乗車券
画像の切符は、ビール会社のビール園の、模擬券風ですが、れっきとした本物の、鉄道乗車券なのです。
これは、京浜電鉄の生麦駅発行(ビールだけに、発酵と書きたくなります)の、
キリンビール前駅行きの、3等5銭の乗車券で、生麦、発行(発酵)で、キリンビールと、券面表示の語呂が良過ぎます。
   

乗車券の日付は、昭和12年の秋、戦前の活気が有った頃の、乗車券赤切符です。
生麦駅前は、幕末の薩摩藩が行列(行軍)中に、イギリス人に対して起こした、生麦事件が有った所でも有名です。
生麦事件については、後程述べさせて頂き、気になるキリンビール前駅のお話を進めましょう。
   
関東大震災で被災した、キリンビール山手工場から移転した、キリンビール横浜工場沿いに、
昭和7年7月25日、キリンビール前駅は、京浜電気鉄道の駅として、開業しました。
その後、京浜電気鉄道は、昭和17年5月1日に東京急行電鉄に合併され、キリンビール前駅は東急品川線の駅となります。
   
戦争中の昭和19年10月20日には、戦時体制によりビールが贅沢品で有るとして、駅名から削除され、キリン駅に改称されますが、
後に休止駅となり、戦後の昭和23年6月1日には、東京急行電鉄から京浜急行電鉄に分離し、京急本線の駅に変わりますが、
営業は再開されず休止駅のまま、翌年の昭和24年6月30日に、廃止されました。
   

茜堂-乗車券(生麦〜キリンビール前)表 茜堂-乗車券(生麦〜キリンビール前)裏

昭和12年10月2日、生麦〜キリンビール前、3等、赤券、5銭、生麦駅発行、京浜電鉄。

生麦事件は、幕末の文久2年8月21日(1862年9月14日)に、武蔵国橘樹郡生麦村(現在の京急本線生麦駅)付近において、
薩摩藩主の父、島津久光の江戸から帰国途中の行列に、たまたま乱入した、騎馬のイギリス人を、
供回りの藩士が、殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件です。
   

この時の薩摩藩の行列は、完全武装による行軍で、通常の大名行列ではなかった。
尊王攘夷運動の高まりの中、この事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから、文久3年7月2日に、
英国(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)艦隊と、薩摩藩との間で、鹿児島湾を戦場とした、薩英戦争が勃発しています。
   

英国艦隊は、当時の世界最強の海軍と讃えられていたが、増援を送ったにも関わらず、事実上、勝利を諦め横浜に敗退した事に、
列強諸国は驚き、西欧が戦争に因って、日本に不平等条約に従わせる事は、難しいと悟るのでした。

   

また、本国のイギリス議会や、国際世論は、既に幕府から、多額の賠償金を得ているのに、薩摩藩に対して開戦し、
鹿児島城下の民家への、艦砲射撃は明らかに行き過ぎだと、英国艦隊キューパー提督を、非難しています。
尚、薩英戦争の引き金となった、生麦事件の石碑は、京急本線生麦駅近くに、残されています。




あくまで茜堂の親爺の独り言でございますので、概ね独りよがりです。相違の場合にはご容赦下さいませ。
当ページの掲載写真は、茜堂による、収集切符のデジタル切抜き画像の為、無断複写や画像への直リンクは禁じております。
記述に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。
   

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