鉄道親爺の脱線話/茜堂

唯我独尊、茜堂の鉄道親爺の脱線話=akanedou

兼ねてから、茜堂が気になっていた事柄を、不定期列車にて、ピックアップ致していきます。
勿論、物事には表現の自由がございますので、これが正しくあれが間違いと、一方的に断罪するものではございませんが、
当ホームページに措いては、
以下の解釈にて展開させて頂かせておりますので、
色々なご意見が有りますでしょうが、茜堂の鉄道親爺の独り言として、ご容赦下さいます様お願い申し上げます。

茜堂-コーナーマーク
2012/3/20/TUE=暴徒と三重連
三重連の有名所は、奥中山と伯備線のD51三重連、花輪線の8620、冷水の三重連等が挙げられます。
その後、全国各地に人寄せ三重連が多発します、播但線のC57三重連や、関西本線のD51三重連を筆頭に、
日豊本線での混成三重連や、山陰本線での狂気に近いD511混成四重連、そしてクライマックスでは、函館本線のC62三重連。
   

SLブームの真ただ中、三重連を目指したカメラマン達の目は血走り、一色即発の危険をはらみながら、三脚立地の争奪戦を繰り広げます。
一般の通行人が視界にでも、入ろうものなら怒号が飛び交い、石のつぶてで容赦なく、排除する。
そんな阿鼻叫喚、修羅場の様なお立ち台。正に、狂気と狂乱の戦場(いくさば)でした。
   

播但線のC57三重連の終盤には、違法駐車車両を畦道へ落とす交通機動隊と、カメラマン軍団とのバトルも、要所要所で繰り広げられ、
中には、畑の作業小屋が目障りだと、数人掛かりで解体をしたり、大木を切り倒したりとか、無法地帯の暴徒そのものでした。
墓石に登っている人に、注意をしたら、お前の墓石かと逆ギレされ、返す言葉が無かった事を思い出します。
   
にわかSLファン達は、何を言っても耳を傾ける事すら無く、我がまま三昧の傍若無人なマイウェイ。
まともな鉄道ファン迄、白い目で見られた、不具合鉄増殖期でした。
当時は、社会問題にもなったが、大事に至らず、今だったら即刻中止の所、両目をつぶって続行されていました。
   
そんな、過激な三重連イベントも一段落した、SL終焉の一時、北海道では人知れず、定期のD51三重連が仕業に付きます。
通常列車なので、マスコミ発表等は無く、今と違って情報量も、少なかった時代ですので、
知る人ぞ知る、敢えて人には教えないが徹底されていて、カメラを向けている人は、夕方の事も有り、滅多に居ませんでした。
   


茜堂-岩見沢D51三重連
茜堂-岩見沢D51三重連

雪の夕暮れ時の、岩見沢駅を発車する、D51三重連、D51 414号機、5290列車。

シャッタースピードを稼ぐ為に、フィルムは、コダックのレコーディング2000を、2倍に増感して撮影。
画像が、明るく写っているのは、特殊フィルム使用の為で、実際は曇天で、結構薄暗くなった時間帯での、発車シーンとなっています。
鉄道ファンの冬の時代、狂乱の不具合鉄増殖期が、二度と訪れる事の無い様に、茜堂は願って止みません。
   

レコーディング2000は、コダック製のモノクロフィルムで、脅威の感度2000(ASA2000)を有し、
同じコダック製のトライX、感度400(ASA400)の、実に5倍もの感度を備えていました。
当時、モノクロフィルムは自宅で現像をしていましたが、このレコーディング2000は扱いが難しく、東洋現像所に頼んでいました。
   
因に、ASAはアメリカ標準規格、DINがドイツ工業規格のフィルム感度で、後に国際的に統一すべく、ISOと言う国際規格が生まれました。
トライXの感度では、ASAは400、DINでは27°となり、それを合わせて、ISO400/27°と表記されます。
但、一般的には、後ろに続くドイツ規格が端折られ、ISO400と呼ばれていました。




あくまで茜堂の親爺の独り言でございますので、概ね独りよがりです。相違の場合にはご容赦下さいませ。
当ページの掲載写真は、茜堂による原盤ネガや原盤ポジからの画像やデジタル画像の為、無断複写や画像への直リンクは禁じております。
記述に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、責務を負えない事をご了承願います。
   

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