沿線の廃線跡を散策/茜堂

筑前大分と桂川に上穂波の廃線跡を歩く=茜堂

この地にも且つて、炭坑運輸の専用線が、二路線存在していました。大分坑と上穂波坑の、メーターゲージの専用線です。
明治27年〜31年に掛けて、中野徳次郎の手に依り、炭坑の開発統合が始まり、
明治34年12月1日に桂川迄、九州鉄道が延びたのを期に、用地の買収をはかり、大分抗専用線の着手に掛かります。
   

開抗より4分の3世紀が過ぎ、昭和45年6月30日に両抗共に閉山し、その長い歴史に幕を閉じました。
当時の石炭輸送専用路線に、思いを馳せながら、僅かな痕跡を探しつつ、その道を辿ってみる事にします。
   
茜堂-廃線マップ



大分坑専用線廃線跡をそぞろ歩く=茜堂

茜堂-大分坑専用線跡 大分坑の専用線跡は比較的分りやすく、町の中心より離れている為か数々の遺構が点在しています。
一部の直線区間は農道として舗装されており、また、専用線の半分以上がそのまま篠栗線へと受け継がれています。
   

晩年には筑豊のD50等が入線していたそうで、のどかな田園地帯を長蛇のセキ編成で活躍していたようです。
日鉄嘉穂鉱業所大分抗専用線をJR方面より散策致します。
   

茜堂-大分坑専用線跡(橋台)

1)桂川方向を望むと、小さな川の両側にしっかりとした橋台が、ぽつんと寂し気に残っています。
   


茜堂-大分坑専用線跡(橋台と篠栗線) 茜堂-大分坑専用線跡(橋台)

2)筑前大分方面を望むと、篠栗線が真直ぐに走っていて、遺構より右側で繋がっていた雰囲気を出しています。
3)橋台より真直ぐ延びた後、二番目の橋台跡を過ぎると、
左に緩やかにカーブを切り、遠方左側の小山のVカットの間を抜け大分坑へと繋がります。
   


茜堂-大分坑専用線跡(2番目の橋台) 茜堂-大分坑専用線跡(2番目の橋台)

4)桂川方向を望んだ、二番目の橋台跡です。ほぼ完璧な形で残っています。
5)こちらは、道床側からで、橋台の食込み部分が良く分かります。一番目より深さが有り、川幅が広い所為か、やや大振りです。
   


茜堂-大分坑専用線跡(農道化) 茜堂-大分坑専用線跡(農道化)

6)緩やかに左カーブを描き、小山のVカットへと進んでいます。嘉穂鉱業所の試錐位置図の、青焼き図面によると、
小山の手前にある小さな道路(当時)を、鉄橋で跨いでいる事から、このカーブは小山に向かって、登りの築堤だったようです。
おそらく、小山からの勾配緩和策の為、道路より上になったのでしょう。
   

7)桂川方向を望むと、右へカーブを描き、二番目の橋台跡が、画面右寄りに小さく写っています。
実は、このあぜ道は、茜堂の愛犬ニ匹との、散歩ルートの一つでも有ります。
   


茜堂-大分坑専用線跡(側壁跡)

8)小山の中の切り通し跡です。緩やかに左カーブを切っています。
路面はすっかり埋まっていますが、左側には数メートルに渡り、石積みの側壁の跡が見受けられます。
   

この雑木林の中は、長ズボンに長袖は最低必要ですが、足場も悪く、散策向きでは有りませんので、余りお薦め致しません。
先方部は何らかの施設が有った様で、一面フラットになっている為、切通しについては、ここだけであったと思われます。
   


茜堂-大分坑専用線跡(保留線跡)

9)国土交通省の航空写真では、小山の横に、選炭ヤードか、保留線の様な平坦地が見えます。
草が生い茂っていますが、広範囲にフラットで有った事が伺えます。
遠方中央に、大分炭山跡(濃い青色の台形の部分)が見えます。
   


茜堂-大分坑専用線跡(大橋台) 茜堂-大分坑専用線跡(大橋台)

10.11)残された、三番目の橋台跡です
こちらは、当時の主要道路をまたぐ鉄橋ですので、高さも有り築堤の妻面には、台形の石積みが綺麗に残っています。
橋台跡は大分坑寄りのみで、桂川寄りには残っていません。
終点は後に新設された、県道90号の手前側(企業敷地内)になります。
   

以上は、平成19年1月13日撮影、晴天。
写真8〜9は、太陽光発電事業地(大分599番地)となり、山は切り崩され、一面フラットな状態となっています。
写真10の、対向線路跡横には、設備内への入口道路が敷設されています。(追加記載=平成28年7月21日)



桂川貨物線廃線跡を歩く=茜堂

茜堂-桂川引込み線跡 筑豊本線の桂川駅は、明治34年12月9日に九州鉄道の長尾駅として開業します。
明治31年の着工について当時、上穂波村としては長尾の安長寺付近に、駅を設けるべく働き掛けましたが残念ながら願いがかなわず、
その代償として桂川村内に有りながら、終着駅は長尾駅と名付けられました。
   

長尾駅が現在の桂川駅に改称されたのは、半世紀近く経った昭和15年2月1日の事です。
   
桂川駅の引込み線のヤード跡ですが、昭和初期迄は終着駅でもあった為、可成り規模の大きな物であったと思われます。
国土交通省の航空写真(昭和49年度版)が有りますので、見てみますと、規模は小さいですが貨車が写っています。
駅の近くですが、改札口から川迄行って、手前の小さな踏切を渡り、戻らなければなりません。
   

茜堂-桂川保留線跡 茜堂-桂川ヤード跡

12)見た目にも分りやすい築堤は、大きく右カーブを切り、桂川駅横の保留線へと向かいます。
   

13)ここから築堤の高さは、三段に分けて、削り取られています。本線との連絡線は、可成り勾配が有った様です。
前方には、広い平地が残り、ここがヤードの跡だと、容易に推測されます。
   

遠方の建物辺りが豆田貨物駅付近で、豆田駅は昭和20年6月10日に、桂川駅に併合され、構内側線になりました。
この引込み線は、SLの晩年期でも残っていましたので、後のDLに貨物操車を引継ぎ、
昭和62年4月1日の、直方駅〜原田駅間の、貨物営業廃止日に合わせて、廃止されたものと思われます。
   

以上は、平成19年1月15日撮影、晴天。



上穂波坑専用線廃線跡を歩く=茜堂

茜堂-上穂波坑専用線跡 長原線(長尾駅〜原田駅)は、大正15年3月30日より、長原線第四工区(長尾駅〜筑前内野駅)として路盤工事が着手され、
昭和2年4月20日に竣工し、その翌年の昭和3年7月15日に開通(現、筑豊本線桂川駅〜筑前内野駅)致します。
筑前内野〜原田間は、1年程遅れて冷水随道の貫通を待ち、昭和4年12月15日に開業します。
   

昭和3年7月15日の長尾線開業に合わせて準備されていた、上穂波抗専用線は同日に開業を迎える事となります。
日鉄嘉穂鉱業所上穂波抗専用線を、JR方面より散策致します。
   

茜堂-上穂波坑専用線跡(橋台)

14)筑豊本線より分岐した、専用線が平行に通過していた鉄橋部です。当時の幅員が、そのままの形で残されています。
専用線の築堤部に繋がる部位も、JR敷地内にそのまま残っています。
当廃線跡では、唯一の遺構だと言えます。
   


茜堂-上穂波坑専用線跡(道路化) 茜堂-上穂波坑専用線跡(道路化)

15)役場に近い為か、線路跡は早々に整備道路化され、遺構と言う物は見当たりません。
ここに専用線が有ったという
事も、国土交通省の航空写真と上穂波坑の当時の区割り図を照らし合わせ、辛うじて分かる程度です。
道路は真直ぐ延びた後に、左へ大きくカーブしています。
   

16)この場所は、カラー歩道も含め近年に整備された道路で、更にカーブは上りながら左へ続いています。
残念ながら、これより先にも当時を偲ばせる軌道の痕跡は、見当たりませんでした。
昭和49年度版の国土交通省の航空写真に、これらの廃線跡が写っています。
   

以上は、平成19年1月20日撮影、晴天。
余談ですが、ここ上穂波抗からは、日本で一番の大きさを誇る石炭の塊が採掘されています。
現品は、直方市石炭記念館に収録展示されています。
   

茜堂では、廃線散策撮影時には、十分な注意を払っております。交通量の少ない地域ですが、車や車両等の往来にはご注意願います。
また、危険な場所や一部私有地等もございますので、深入りされない様、怪我等をされない様に、
各自の判断にて、廃線散策をお楽しみ頂けます様お願い申し上げます。




当ページの掲載写真は、茜堂によるデジタル撮影画像の為、無断複写や画像への直リンクは禁じております。
当記述につきましては、地域の方々のお話を基にした個人的な検証でございますので、相違の場合にはご容赦願います。
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